蹴球仙術

せんだいしろーによるサッカー戦術ブログ。ベガルタ仙台とともに。

たった一人のサポーターより息子たちへの一通の手紙

今日、君がどんな夜を過ごすのか。

明日に向けて、どんな準備をしてきたのか、少しばかり気にしているところだ。

でも君のことだ。

きっと明日も、電光石火のごとく、その闘いへ身を投じるのだろうと思う。

思うし、確信している。

気負うことは大事なことだ。

成功しようと野心をもつ君の姿勢に、僕はいつも感服しているし、尊崇している。

僕から言えることはかなり少ないが、ひとつだけ、左脳の片隅に置いておいてほしいことがあって、何事も度を過ぎるのは好ましくない、ということだ。

責任感の強い君のことだ。

気負い、背負い、失敗すれば世界が終わる覚悟で、その「任務」にあたるだろ。

ただ君が負えば負うほど、身体は固くなり、心は縮み、視野は狭くなるだろう。

大事なのは、何事も過ぎない、ことなんだ。

自然体であり「過ぎる」のもまた、難しいことに具合がよくなかったりする。

とにかく、言いたいことは、君も十二分に分かってることだと思うが、その大いなる成功への野心と、明日のことだって楽しんでやろうという、良い楽観主義は共存するはずだ。

野心と楽観との間に、常識と、平常心が存在する。

常に冷静に、目の前のことに集中して、そして必ず成功してやろうという気概でもってあたれば、君に向かうところ敵なしだ。

無敵だ。

僕たちはそうして、数々の苦難を打ち砕いて来た。

明日だってできる。

成功する。

必ず勝つと、僕は、確信している。

がんばって。

 

そしてもうひとつ。

明日何が起こっても、人生は終わりじゃない。

これからも人生は続き、君はたくさんの失敗をして、そして、その失敗以上に数多くの成功を収めるだろう。

いや、大成功を収めるだろう。

明日のことも、君がスパイクを脱ぐ時には、懐かしい思い出になっているだろうし、同じ経験をした者同士で再結集して、後身たちの大いなる手本となれるだろう。

これからの人生でも、明日と同じような機会は、おそらく2度、3度やってくる。

それを乗り越えるための糧にしてほしいと思っている。

幾千もの思い出の山に明日のことが埋もれていくだろう。

それは時間がすべてを忘れさせてくれる良い側面でもある。

でも、やはり君の心に、それでも心のなかに留めておいてほしいことがある。

 

忘れられない一日にしよう。

 

どんな結果が待っていようと。

僕は大事な試合の前に「人生最高の90分間にしよう」と言っている。

明日はきっと、その試合なんだと思う。

まあ、そんなことは、君が一番分かってるだろう。

「青春に捧ぐ」の歌詞にもあるような、祭りのあとの寂しさを味合うのは、いかに僕たちが明日という日を祭れるかにあると思う。

だから、良い一日にしよう。

さあ、行こう。

そして、決して忘れることのない、忘れることのできない試合にしよう。

明日を思い出す日は、必ず訪れる。

 

仙台が、ある限り。

 

小さく微力なサポーターより。