今日、君がどんな夜を過ごすのか。
明日に向けて、どんな準備をしてきたのか、少しばかり気にしているところだ。
でも君のことだ。
きっと明日も、電光石火のごとく、その闘いへ身を投じるのだろうと思う。
思うし、確信している。
気負うことは大事なことだ。
成功しようと野心をもつ君の姿勢に、僕はいつも感服しているし、尊崇している。
僕から言えることはかなり少ないが、ひとつだけ、左脳の片隅に置いておいてほしいことがあって、何事も度を過ぎるのは好ましくない、ということだ。
責任感の強い君のことだ。
気負い、背負い、失敗すれば世界が終わる覚悟で、その「任務」にあたるだろ。
ただ君が負えば負うほど、身体は固くなり、心は縮み、視野は狭くなるだろう。
大事なのは、何事も過ぎない、ことなんだ。
自然体であり「過ぎる」のもまた、難しいことに具合がよくなかったりする。
とにかく、言いたいことは、君も十二分に分かってることだと思うが、その大いなる成功への野心と、明日のことだって楽しんでやろうという、良い楽観主義は共存するはずだ。
野心と楽観との間に、常識と、平常心が存在する。
常に冷静に、目の前のことに集中して、そして必ず成功してやろうという気概でもってあたれば、君に向かうところ敵なしだ。
無敵だ。
僕たちはそうして、数々の苦難を打ち砕いて来た。
明日だってできる。
成功する。
必ず勝つと、僕は、確信している。
がんばって。
そしてもうひとつ。
明日何が起こっても、人生は終わりじゃない。
これからも人生は続き、君はたくさんの失敗をして、そして、その失敗以上に数多くの成功を収めるだろう。
いや、大成功を収めるだろう。
明日のことも、君がスパイクを脱ぐ時には、懐かしい思い出になっているだろうし、同じ経験をした者同士で再結集して、後身たちの大いなる手本となれるだろう。
これからの人生でも、明日と同じような機会は、おそらく2度、3度やってくる。
それを乗り越えるための糧にしてほしいと思っている。
幾千もの思い出の山に明日のことが埋もれていくだろう。
それは時間がすべてを忘れさせてくれる良い側面でもある。
でも、やはり君の心に、それでも心のなかに留めておいてほしいことがある。
忘れられない一日にしよう。
どんな結果が待っていようと。
僕は大事な試合の前に「人生最高の90分間にしよう」と言っている。
明日はきっと、その試合なんだと思う。
まあ、そんなことは、君が一番分かってるだろう。
「青春に捧ぐ」の歌詞にもあるような、祭りのあとの寂しさを味合うのは、いかに僕たちが明日という日を祭れるかにあると思う。
だから、良い一日にしよう。
さあ、行こう。
そして、決して忘れることのない、忘れることのできない試合にしよう。
明日を思い出す日は、必ず訪れる。
仙台が、ある限り。
小さく微力なサポーターより。