Mr.Childrenの「Starting Over」という曲がある。
その曲に「さあ 乱れた呼吸を整え 指先に意識を集めていく」という歌詞がある。
息が上がっていると、集中できないことは往々にして存在している。
それを一度立ち止まったり、深呼吸することで整え、次のアクションに備える。
これは、僕たちが普段の生活のなかで実践していることだ。
本来集中したいもの、こと、に向けて落ち着く。
Chillが最近の流行りであるけれど、慌てて何かをしてもたいていのことはうまくいかないということだ。
さて、サッカーにおいて、ピッチにおいて「呼吸を整える」ことってどんなことがあるだろうか。
最近、Xaviがバルサに監督として帰還した。
Al Saddで選手キャリアを終え、そのまま監督として指導者のキャリアを歩みだしたXavi。
まさに、満を持してのバルサ監督就任と言える。
そんなAl Saddだが、3-4-2-1、4-3-3でボールを保持しながら、良いポジションを取り、ゲームをコントロールするプレーを志向している。
いわゆる、ポジショナルプレー思考にもとづくサッカーだ。
いきなりだが、そんな彼らが失敗する時とはどんな時かから書きたい。
なぜなら、失敗は必然であり、成功は偶然であるからだ。
もっと突き詰めていえば、チームスポーツにおいて、失敗する時の大半は全員がミスをしている可能性が高いし、成功する時は相手のミスだったり瞬間的に良いプレーが出来たり、偶発的な環境要因が影響するからだ。
だから、失敗や敗因を分析し、考察、改善していくことは、大事なことである。
前置きが長くなったが、Al Saddはそのプレー特性から、時間やスペースが制限されていると、彼らのプレー速度も上がり正確なプレーや正しいポジショニングができなくなる傾向にあった。
相手DFが素早く距離を詰めて、Al Saddの選手のプレー時間総体そのものを少なくしようとプレー、この場合ならプレッシングになるが、そういったプレーの影響から手持ちの少ない時間のなかで「正しい」とされているプレーを表現しなければいけないプレッシャーがあった。
自分たちのプレー原則だったり、ゲームモデルに首を絞められる瞬間である。
蹴り飛ばしてしまえば楽になるし、実際に蹴り飛ばしているシーンもある。
ただそうなると、Al Saddのプレー速度は上がり、同時に比喩ではなく選手の物理的な意味合いにおける心拍数もあがった。
こうなると、彼らが普段から行っているプレーとは異なるし、そういった異なる状況でのプレーとなると、選手のこれまでの生い立ちが試されるというか、Ivica Osimの言葉を借りれば「最後まで走れる子に育っているか」が大事になってくる。
そんな時、Al Saddがどうやって、自分たちのプレースピードを取り戻すか。
それがロンドだった。
いわずもがな、Xaviはロンドを信仰している。
ただこれは半分くらい比喩的に書いてしまっているので、もう少し奥歯で噛み砕けば、バックラインやGKを中心としたパス交換、ポジショニングで、もう一度自分たちのスピードに戻そうとするプレーだ。
その間に、前線もXaviが信条とする「インサイドMF(シャドー)のハーフスペースへのポジショニング」、「ウィングがワイドに高い位置を取る」を実行する時間が生まれる。
こうしてだんだんと自分たちのスピードに減速させていく。
落ち着く、Chill、ゆっくりやる。
まあこんな言葉がとてもしっくりくる。
でも僕は文字通り、心拍を落ち着かせる、ひいては荒くなった息をいったん落ち着かせる、「呼吸を整える」プレーだと思った。
おそらくだけれど、観客が入っていないことも要因としてあるかもしれない。
速度の速い、落ち着いてないなかでプレーをミスし、それに観客がネガティブな反応を示せばさらに選手は落ち着かなくなりさらにミスを…そんな可能性もあったかもしれない。
監督であるXaviの呼吸とチームの呼吸は合う。
あとは相手と観客、サポーターがどうなるかだ。
相手はしょうがない、プレーを邪魔してくるに違いない。
でもサポーターについては味方だ。
自分たちのプレーへの理解、支援。
まあそういったところをチームのプレーと結果で集めていくことが必要で、それがある意味監督の次の仕事のような気がする。
長々と書いたけれど、とにかく自分たちには自分たちが心地よい、もっとも良い結果を出せるスピードがあって、それは心拍であり呼吸の速さのようなもので、それが荒ぶるとたいていうまくいかなくなる。
もちろん、寝かせられるほど落ち着いてしまえば、Chill outしてしまうのもまた、問題なのだけれど。
だから、整えることが必要で、整えるためには整える方法を知っていて、それを普段から実践していることが大事になる。
いかに試合を、90分間の予測不可能性を日常の延長にできるか。
非日常を少しでも日常のものとするために、僕たちは深呼吸するのだと思う。
そして、弾倉に弾を込めるのである。