蹴球仙術

せんだいしろーによるサッカー戦術ブログ。ベガルタ仙台とともに。

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は鬼

空の星

「ご都合主義だな」

青く広がる空。

そんな空を睨むように、仰向けのまま少女はうそぶく。

「何が?」

「この本だよ」

「何がご都合主義なんだ?」

微妙にかみ合わない会話に、細かい説明は不要だった。

ん、と少女は本を差し出す。

―――『それでも攻める君へ』。

本のタイトルだ。

「これがなんだって?」

僕は、重ねて聞く。

「『諦めずに挑み続けることが、いずれ自分の未来を創る』だそうだ」

とても不満そうに、彼女は言う。

「そんな、そんな簡単に自分の望むような未来になるわけないだろ」

「自分だけが自分の望むような世界になるわけないがないのと同じように」

僕は、差し出された本を手に取ると、パラパラと中身を眺めた。

眺めたというより、さらった、が正しい。

巻末に目をやる。

「へー、この本の作者、うちの学校出身じゃん」

話題をそらした。

彼女にとって意味がないのなら、きっと僕にとっても、この本は意味がないんだと思う。

マイは空を見上げたまま、返事をしない。

「こんなこと、私だって書けるさ」

私だって……

そう小さくつぶやくと、目をつぶってしまった。

そうだね。

今の君なら、きっと書けると思う。

ずっとずっと、ずうっと、君は諦めず、受け入れず、チャレンジし続けてきたのだから。

彼女が人生で2度目の、利き足を大怪我した日から、半年が経とうとしていた。

 

夕刻。

下校する僕には、少し不思議なルーティンがある。

変な幼女との会話だ。

一見すると僕は不審者だが…その子は誰が聞くわけでもないのに、自分について話す。

道路で見つけた花の話、家族で行った水族館がとてもつまらなかったという話、初めてサッカーボールを蹴った話とかとかとかとか……

まるで時間が止まったかのように、その子が話す時は「時」が止まったかのように、僕はただ話を聞いている。

白色のワンピースに、少し華奢な身体がひらひらと公園で舞っている。

幼女とは言ったけれど、さすがにもうすこし歳はいっている。

ただ、大人というには幼いし、僕と同年代にも見えない。

見えないけれど、中身はなんというか、僕とは別世界の住人のよう。

僕を見つけるとピタリと止まる。

そして、ゆらゆらと僕の方へと近寄ってくる。

「あら阿霄月さん。こんにちは」

「こんにちは」

「侭ノ上ユリよ。この前も言ったでしょう?」

「いや、今初めて聞いたよ。君の名前?」

「でなければ説明がつかないでしょう?」

「ごめん」

「呼んでほしいだけ。謝るのは最後」

「えー……侭ノ上さん、こんにちは」

「こんにちは、阿霄月さん」

「今日はどうして」

「私ね、きっと似合うと思ったのよ」

「何がだい?」

「分からない?あなた彼女はいらっしゃって?もしそうなら今ごろひどい目にあっているわきっと」

「そうかもね。まだ分からないから」

「すごく良いワンピースだと思わない?私感激してしまって」

「この前も着ていなかった?それとも似た感じの服なのかい?」

「違うわ。違う。全然違う。まったく違う」

「ごめんよ」

「一度だっておんなじことなんか無くってよ阿霄月さん。どんなことでも。二度も三度もあるとあなたが『勝手に』思っているだけ」

「……どんなとこが良かったんだい、今日の服」

「素敵な色だと思わない?思わず見とれてしまったの」

「綺麗な白色だと思うよ。君にピッタリだ」

「白?違うわ阿霄月さん。これはピンク色よ?あなた大丈夫?」

「ピンク?白だよ、どう見ても。君こそ大丈夫かい?」

「あなた、女性を怒らせる才能はありそうね。私だからよかったものの、ほかのひとにはやってはいけないわ。決して」

「いやでも、これは白色のワンピースだ」

「そうやって自分の正しさを確かめるような言い方はよしなさいな。自分を苦しめるだけよ」

「……ごめん」

「言ったでしょ、謝るのは最後だって」

「き、綺麗なピンク色だ。君らしい。すごくいいと思う」

「そうでしょ!ああ、あなたにもそうやって褒めてもらえて、私今日死んだっていいくらい。そう思うでしょ阿霄月さん」

「死んではいけないよ。でもすごく良いと思う」

「死なんて怖くないわ。だって人間はみないずれ死ぬのよ。爪が伸びたり、髪の毛が伸びたりするのと同じように、動いてるものが止まるってだけ」

「でも、今死んだら、君の家族が悲しむ」

「家族?」

「そう家族だ」

「他人のせいにするのね」

「何がさ」

「私の家族、知らないのに」

「……」

「そうやって逃げるんだ」

「逃げる?」

「逃げてるわ。あなた。他人のせいにして、誰かに合わせて、私はずうっとあなたに聞いているのに私が何を考えているかにばかり気にして」

「だって白いものをピンクだというから…」

「それが何?それであなたは幸せになれるの?それが明らかになると私は幸せになる?あなたの大切なひとは救われるの?」

「いや」

「阿霄月さんって不思議なひと」

「君、それいつも僕に言うけれど、君の方が十分…」

「十分?十分なにって?気が触れてるって言いたいの?」

「ごめん、今のは言い過ぎた。ごめん」

「ほんと、不思議なひとね。私、阿霄月さんが心配よ」

「……」

「辛くない?」

……

…………

…………

「……なにもつらいことなんかないさ。高校生だぜ?遊んでばかりさ」

「いつも帰りが早いのは感心しているの」

「そう……」

「もっといろんな世界を知るべきよ。アリの一生を追いかけるとか、水の感触を知るとか、空を飛んでみるとか」

「いや、日中は学校もあるし……」

「世界は素晴らしいわ。とてもね。あなたは知らないかもしれないけれど」

「知らないことばかりだよ」

「じゃあね阿霄月さん。私、あなたに会えてとても嬉しかったわ。あなたにこのワンピースを見せれてよかった。あなたに最初に褒めてもらいたかったの」

「それはどうもありがとう。僕も君に会えてよかった」

「本当?ならもっと嬉しいわ。また会いましょう。私、あなたのこと、好きよ」

「僕も、僕も……」

言い終わらないうちに、白い花は夕暮れとともに消えていった。

 

 

「それで?最近の雲雀野はどうなんだ?」

「変わらずだよ。今日はリハビリで、学校終わったら病院に行くことになってる」

「お前もすっかり保護者だよな。大したもんだぜ」

「別に…もう慣れたよ」

「靭帯断裂…だっけか。二度目の」

僕もよくは知らない。

大きな怪我、としか、マイはいつも僕に話そうとしない。

ただマイの親かから聞くに、利き足……右足の靭帯断裂らしい。

二度目かは…聞こうとも思えなかった。

そこまで「今どんな気持ち?」って聞くような真似、僕にはできなかった。

「それじゃあ、お前も病院に行って見舞うのか」

「いや。リハビリは壮絶だから、マイが絶対に見られたくないって。両親は付き添ってるみたいだけれど」

「そらそうか。すげえ辛いみたいだからな」

「知ってる」

「宮良って知ってるか?サッカー選手なんだけどな、それこそ何度も大怪我してそのたびに復活してさ。めちゃくちゃかっこいいんだけど、そんな人でもリハビリはきついって地獄だって言ってたからなあ」

僕にはサッカーの学は少ししかない。

多分有名な選手なんだろうけれど……

霊屋下の話についていけないのがつらいというか、彼に不義理をしている気になる。

マイもサッカー選手、なんだよな。

女子高生だけど。

「じゃあどうよ、帰りちょっと寄り道してこうぜ」

「いやいい。ほかに寄るとこあるから」

「お前まだあの幼女のとこ行ってんのか!?」

「まだってなんだよ、まだって」

「やめておいた方がいいぜ。今から貢ぎ癖がついたら身が持たんぞ」

「なんの話だよ」

「だいたい、その幼女って何者なんだ?お前の話だとずいぶんと偉そうじゃあないか」

「偉そうとは感じないけれど。少し不思議な子だよ」

「だいたい、いくつぐらいなんだ?学校とかどうしてんだよ」

「さあ……僕よりは少なくとも年下だと思う。でもそこまで幼女って感じではないよ。それなりの背丈はあるし」

「ますます分からんなあ。不登校とかそんなんか」

侭ノ上ユリ。

昨日、僕も初めて知った彼女の名前。

それ以外、何も知らない。

「知ってることの方が少ないものよ阿霄月さん」

なんて言われそうだ。

「怪しい子ではないし、少し喋る分なら特段問題ないよ」

「そうかもしれないけどよ、不登校とか家庭内暴力とか、わりとマジな話でありそうだぜ」

「身なりもキチンとしてるし、アザみたいなのもなかったよ。霊屋下が考えすぎ」

「アザもなかったって…お前まさか、その子を脱がして…」

「馬鹿野郎!そんなことしねえよ!」

「ゼロにロリコンの趣味はないはずだから大丈夫…か…」

「大丈夫だよ。まったく」

「でもさマジな話、素性の知れない奴とつるむのは気をつけろよ。たとえ年下だろうとなんだろうと、俺たちみたいなクソ高校生に近づいてくる奴なんてろくなもんじゃないて」

たしかに。

あの子との出会い、いや、出会いなんてもではなくてただの、偶然だった。

 

雨は嫌いだ。

傘を差さないといけない。

それに…

マイが怪我をした試合も、雨が降っていた。

ピッチはぬかるんでいた。

公園を横切ろうとしたとき、関節視野に白い何かが映った。

……

…気のせいか。

さっさと帰ろう。

「どうして、どうして傘を差しているのかしら?」

「…え?」

いつのまにか横に、少女…幼女…が水たまりを踏みながらぴちゃぴちゃと楽しい音を奏でていた。

傘を、差していなかった。

「君、傘差さないと濡れるよ」

僕はとっさに自分の傘を差しだした。

ぴちゃぴちゃをやめた少女は、ゆっくりと僕を見上げる。

傘の影に隠れていてもはっきりと分かるように、まるで発光しているかのように、少女は僕を見ていた。

「あら、雨音も素敵じゃないの」

「え?」

「ありがとうね阿霄月さん。私知らなかったわ。水たまりの音しか知らなかったの」

この子は何を言っているんだ。

「雨音はまるでバロックね。素敵。私好きよ」

とても穏やかに、柔らかに微笑む。

「私、あなたのこと好きよ」

この子は何を言っているんだ。

「と、とにかく家まで送るよ。しばらく雨も止まないだろうし」

「ねえ、どうしてみんな、雨になると家のなかに籠ってしまうの?水の竜が現れて滝登りでもするのかしら。それとも鏡水面と異世界が繋がってしまうからかしら。ねえ、阿霄月さんはどう考えている?私はきっと、この雨がすべてを流し尽くすからだと思うの」

僕の頭はまったく何の役にも立たなかった。

少女がいったい何の話をしているのかも何もかもが分からなった。

「悲しみも憎しみも後悔も絶望も怒りも妬みも。雨がこの世のすべてを洗いつくしてしまう。だからみんな家から出てこない」

「絶望がなければみんな幸せなんじゃないの?むしろ家から出たいと思う気がするけれど」

「絶望が消えたら希望はどうなる?希望も消えてしまってよ阿霄月さん」

「それってどういう…」

「都合がいいこと」

「え…ごめん」

「謝るのは最後よ阿霄月さん」

「そうなの…」

「私たちが普段から忌み嫌っている感情たちだって生きているの。それに彼ら彼女らがいなければ、新しい生命の誕生を迎えられない。それはとてもとても不幸なことでしょう?」

「悲しさや怒りが、新しい希望を生むっていうのかい」

「それは合っていて間違っている」

「違うの?」

「あなたが雨を嫌うのも、雨音を聞いてうれしくなるのも、全部一緒。同じ場所。そのどれもがひとつの生命体」

「む、難しいよ」

「だから、私も雨は嫌いよ」

まるで禅問答だ。

この子は一体何者なんだ。

「帰れるわ。一人で。独りは嫌だけれど」

「そう…」

傘の影からひょいっと少女は飛び出すとけんけんぱをしながら帰りはじめた。

「あっ、待って!」

振り向いた少女に、僕は持っていた傘を渡した。

「僕は大丈夫だから使いなよ。走ればすぐ家につくし、明日とか晴れた日にでも公園のベンチに置いてくれたらいいよ」

じーっと傘を見つめる少女は、少しの間無言だった。

「いらなかったかい?」

僕は少し不安になって聞いたが、それは杞憂だった。

「ありがとう。この公園のベンチで傘を持って待つことにしようと思う。あなたの気が向いた時に会いにきてちょうだい」

「うん、わかった。じゃあまた」

「それではね、また会いましょう」

そう言い残すと彼女は再びけんけんぱをしながら道を進み始めた。

傘も差さずに。

 

 

僕はいつしか、彼女のことをふと思い出すどころか、その正体を探りたいとすら思い始めた。

侭ノ上ユリ。

いったい、ぜんたい、何者なんだと。

気づいたら、いつものあの公園にいた。

まだ誰もいない。

そういえば、この公園。

あの子以外、誰かがいたところを見たことがない。

見たことがない気がする。

気がするだけ、かもしれない。

いつもあの子は一人だ。

家族の存在も、いまだに不明。

見た目と中身のギャップ。

幼女?少女?らしからぬ態度。

マイもあのくらい話してくれたらいいんだけれど―――

一瞬、余計な考えが左脳の片隅を泳いだ。

「意味なんかあるのかしら」

そして唐突に、ふいに、彼女は現れた。

「わっ!」

「こんばんわ。阿霄月さん」

「こ、こんばんわ」

「…」

「侭ノ上さん」

「…」

「ん?」

「…」

彼女は僕を見つめて何も言わない。

世界が止まったかのようだった。

彼女が動かない限り、時計の針は動かない。

「ゆ…」

「んん?」

「…ユリって呼んでくれないかしら。とても窮屈だわ」

そうひとこと言い放った。

「そ、そんなこと?」

「そんなこともこんなことよ阿霄月さん。あなた全然、私のことユリと呼ばないじゃない。失礼だと思わない?」

「いや、別にそんなつもりは…」

僕は言い淀んだ。

いつの間にか、なんとなくそう呼んだ方がよさそうな気がして、彼女のことは苗字である侭ノ上、さらには「さん」付けまでしていた。

畏怖。

なのかな。

でもたしかに、少し窮屈さを感じていた。

「……そうか、それはすまなかった」

そう言いながら僕を見つめる少女に向かって。

「ユリ」

「あなたは?」

「僕?僕は…」

なんだろう。

このやり取り、前にもやった気がする。

「僕はゼロ。ゼロって呼んでもらっていいよ」

昔、昔だれかとこんな風に。

「そう、よろしくね

 

思い出せない。

思い出せないよ、マイ。

 

―――ゼロ君」

 

遠くから空を叩く音が聞こえる。

1回、2回、3回。

少し間を置いて、また1回、2回。

時折、夏の夜空を閃光が走る。

家や木々の隙間から覗ける程度ではっきりとその光は捉えられない。

「隣町の花火だ。うちの町でもそろそろだったはずだよ」

「綺麗ね」

「はは、もう少し見やすいところじゃないと綺麗かどうかも分からないね」

ドン、ドン、ドン。

「――好きよ」

「え?」

「私、ゼロ君のこと好き。大好き」

僕の心臓は、そのお世辞にも見やすいとはいえない花火が鳴らす鼓動よりも早くなっていった。

「ありがとう。私、あなたに感謝している」

「いつかこうして、あなたに伝えたかった」

「いや……僕は何も…」

「あなたが会いに来てくれたから、私は今日まで走ってこれた」

「雨の日も、雪の日も、暑い夏の日も。そして今日も」

「いつも私を必要としてくれたゼロ君が私にとっては希望だった」

話し方はいつものユリだった。

けれど、よくわからない哲学的な一問一答的会話などではなく。

ただただ、彼女の想いのたけを聞かされる新しいパターンだった。

しかも、僕は、告白をされている。

大告白を。

「あなたが望むのなら、私は必ず応えたいと思うほどに」

「ゼロ君」

僕の口の中は乾ききっている。

かすかに火薬のにおいが漂っている。

夏のまだ暑い夜に。

 

「ごめんね」

 

最後に、彼女はそう言った。

 

 

続く*随時更新