蹴球仙術

せんだいしろーによるサッカー戦術ブログ。ベガルタ仙台とともに。

【Hand to Hand】Jリーグ/第22節 vs横浜FC【ベガルタ仙台】

f:id:sendaisiro:20220222220513p:plain

 

はじめに

 まず先に断っておくが、今回は戦術的な視点での振り返りは無い。別に中身のなかった試合だったという文脈ではなく、僕が書きたい、書くべきと思ったことは、それではなかっただけである。では、レッツゴー。

 

金色の渦の底から

 2位仙台と3位横浜FCの激闘は、90分のフルスコアを終わって2-3。終盤の追い上げも叶わず、ベガルタ仙台は敗北した。終了のホイッスルと同時に、ピッチに倒れこんだ若者がいる。1人は中島元彦。そしてもう一人は、キム・テヒョンだ。テヒョンは、立ち上がると一番遅れて列に加わり、みんなと一緒に「お辞儀」した。

 ずっと、ずっとだ。そのあとずっと、テヒョンは「2-3」を表示した、ユアスタゴール裏南にある電光掲示板を見つめていた。開始早々に失点し、その後も横浜FCのFWサウロミネイロとの1対1の競り合い、背後への飛び出しへの対応。ゴール前からボールをはじき出し、前半の追加点を防いだ。決して楽ではない。決して同等でもない。かつてのシモン・マテのごとく、J1の主力級FWに対して勝ち続けたような戦いではない。必死に、相手に食い下がり、必死にボールをはじき出し、相手よりも誰よりも速く走っていた。ボールを持てば、ピッチ後方から、ベガルタ仙台原崎監督が目指すサッカーを体現するべく、パスを刺し続ける。右SBの真瀬に対角のロングフィード。まるで矢のようにボールが空中を飛翔している瞬間、ユアスタは一瞬の静寂を迎え、まばたきする間もなく歓声があがった。韓国からやってきたこの若者は、間違いなく、ベガルタ仙台の戦士だった。それでも、電光掲示板には、「2-3」の数字が表示されている。後半の2失点はベガルタの左サイド。サッカーに夢なんてない。あるのは、現実だった。

 試合開始前、やや曇りがちになったユアスタに太鼓の音が轟いた。まるで、雷鳴を内包した黒雲のように、風雲のように、ドコドコドコとそのエネルギーの解放を今か今かと待っているような。試合が始まれば、耳を引き裂くように鳴り響く、手拍子。鋭く乾いたその「声」は、反響し、乱反射し、ピッチへと降り注いでいった。1万人のエネルギーは、勝利への爆発に向けて、力を溜めに溜めていった。スタジアムもまた、この試合に懸ける熱量は、段違いだったんだ。

 画面が切り替わっても、この20番の視線はゴール裏南に向いたままだった。ピッチに立ち尽くすという表現は、そのまま、この瞬間のテヒョンにふさわしかった。2000年生まれの若者が、いまだCOVID-19の脅威が収まらないなか来日し、この試合の重みを、熱を、十分すぎるほど感じ背負い闘っていた。その結果が、現実が、だからこそとてもとても重くのしかかった。

 スタジアムを回る選手たち。その一番後ろで遅れてやってくる20番。手を叩き、感謝の意思表示をする。僕は彼に精いっぱい、拍手で応えた。拍手するべきではなかったかもしれない。重要な上位対決を勝ち点0になって、しかも簡単に立て続けに失点して、手放しですくなくともすべてを許容できる内容でも、結果でもなかったと思う。それにさっきも書いたがサッカーにあるのは現実だ。物事は、結果の積み重ねで成り立っている。でもやはり、試合でのプレー、試合後のふるまいを見て僕は少なくとも、彼を責めることはできなかった。確実に、人事を尽くし、この90分に全力で挑み、粉骨砕身していたのは明白だった。それで結果負けであれば、また努力して挑み続けるしかない。「2-3」は、そう僕たちに、テヒョンに告げていると、今はそう信じてくしかない。彼は、いつものように拍手し感謝を告げると、ピッチから去っていった。

 

おわりに

 歩行者天国を帰る僕は、泉中央駅へと延びる車道の中央線を歩いていた。白くまっすぐに伸びているその線は、ところどころかすんでいたり、消えていたりもしていた。目指しているものに向かっていても、途中で視えなくなったり、ある出来事がきっかけで消えてしまうことがある。それでも、ただ真っすぐに前を見つめて歩き続けていかなければ、目指したところへは辿りつかない。ずうっとスタンドを見つめる20番。暗闇に白線が伸びる。僕は、ユアスタを後にした。

 

「本気でやった場合に限るよ。本気の失敗には価値がある」こう言ったのは、南波 六太だ。