蹴球仙術

せんだいしろーによるサッカー戦術ブログ。ベガルタ仙台とともに。

【Don’t forget a hole in the wall】Jリーグ 第26節 ベガルタ仙台 vs FC東京 (1-2)

はじめに

 さあ、いきましょうか。ホームFC東京戦のゲーム分析。この日も勝ち点を争う一戦。今日も、ゲーゲンプレスで振り返ります。では、レッツゴー。

 

目次

オリジナルフォーメーション

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ゲームレポート

ミッドウィークの戦い

 ベガルタ仙台は、4-4-2。FC東京のビルドアップは、ボールサイドのサイドバック+2CBのバック3に、MFがひとり加わる3-1ビルドアップ。仙台は、いつも通り、フォワードがセントラルMFを基準としながら、ホルダーであるバックラインの選手へとプレッシャーをかけていく。東京は、ボールサイドと逆サイドのサイドバックがセントラルレーンへレーンチェンジしている?セントラルMF三田がCB横へポジショニングすることでのカウンター予防ポジション?

 東京は左SB+CBでのビルドアップが中心。右サイドは、SB鈴木がワイドに高い位置を取り、仙台のタカチョーを引っ張り出すことが狙い。その背後を田川が狙う。仙台は、ファイナルサードでサイド奥にボールが入った際、CBがカバーに入っていたがこれを追わず、ゴール前でクロス対応の準備をしている。右サイドでも、高萩がCB横へカットアウトした際、セントラルMF松下がカバーに入っている。これまでCBがサイドまでカバーして、全体がボールサイド3レーンに密集するDFを主体としていたが、もしかしたら変更が入ったのかもしれない。あるいはこの試合限定か。

 仙台のビルドアップは、セントラルMFがバックラインにドロップする3-1ビルドアップ。特に、左利きの松下がCB間に入り、3バックのリベロ役になる。相手2FWに対して、数では上回っているが、相手DFへ正対せず、あるいは正対しようという意識の優先順位が低くスペースと正対しているため、ボールが爆弾ゲームになる。結局、サイドの選手にその爆弾が手渡される。

 上原、フォギーニョの2-2ビルドアップであれば、FW-FWライン上あるいはFW-WGライン上で同時に焦点プレーを起こせるので、相手FWからするとむやみにホルダーであるCBへプレッシャーをかけづらくなる。福森、QちゃんのCBには、十分な時間とタイミングが確保できた、その結果正対することもできた、というのが横浜FC戦の教訓だった。

 一方、3-1ビルドアップの場合、バック3がボールを持つ時間とタイミングは多く存在するが、MFによる焦点プレーを1か所に絞られることになる。こうなると、賢くカバーシャドウするか、走力などフィジカルを使うかで、ある程度時間とタイミングを限定することができる。

 この試合も、仙台のバック3はボールを持つことに成功しているが、スペインすらも驚かせたFW永井に、賢いプレーヤーのひとりである高萩がトップ下にいてファーストプレッシャーラインを形成している。よほど、3-1ビルドアップに熟練度が無いと、その回避は難しい。というより、そこの成熟度があったうえで、駆け引きが存在するがそうも言ってられないのが現状というわけだ。

 よって、仙台のビルドアップは、その次のボール保持攻撃へ繋がっていく時点で、すでに様々な無理のうえに成り立っており、最終的にはサイドからのクロスか、セットプレーを取りに行くプレーへとつながっていく。東京のCBは、渡辺とオマリ。逆サイドのサイドバックもゴール前で構えるリーグでも相当に底堅い形。横串には強い。彼らの弱点である正面攻撃の機会を増やせれば、あるいはそこからサイドへの展開は可能性も感じた。

 この日は、上原力也がトップ下に。本来赤﨑のロールであるカットアウトで、サイド奥に起点を作る係を任せられる。SB鈴木がレーンチェンジする氣田に引っ張り出されて、その背後をタカチョーがバックカット。鈴木は良い選手だが、まだJ1の危険性というものを肌で感じている途上。仙台はもっと突ければよかったのだが。なお、コーナーキックメーカーの関口に、2010年ごろを思い出すなど。

  

考察

 プレー強度、つまりは予測にもとづく集中力で、FC東京は高い質を保っている。それがどんな時でも、誰であっても。この試合においても、その片鱗は出てきたわけで、「いつものFC東京」だったわけだ。たとえ、フルコンディションではなくても。仙台が同じ土俵で戦うには、少し、というよりかなり分の悪い相手だったことは間違いない。おまけに、加藤千尋、赤﨑の中心プレーヤーを怪我で欠いたなか、他の選手のコンディションケアもしながらだったから、ある意味自分たちとの戦いだったとも言える。ただ、スタメン、あるいはリザーブを絞って固定化するチームビルディングの性質上、そういたネガは出てしかるべきだし、それに対するアンサーを用意しておくのがマネジメントにおけるリスクヘッジというやつだ。FC東京は戦い方で。ある意味信仰心に近い、宗教に近いような「らしさ」がすべての拠り所で、それを表現できるメンバーを送り出している。では仙台はというと、すでにその戦い方は今シーズンで何度も変遷している。すでにチームも残留を主目的とした戦い方、マインドにシフトしている。そうなると、信じられるのは、任務だけ、ということになる。任務とは、その試合における目的、目標、それらを実現するためのあらゆる手段、犠牲のことである。「用意された犠牲」を用意するのが、指揮官、ということになる。

 

おわりに

 本当のところは、個人的な感情をいえば、選手にはあまり悲壮感を感じてほしくなくて、責任をすべて背負ってほしくなくて。彼らには彼らの、選手としての人生があって、本来ならそれを全うしてほしくて。彼らが昨日よりも今日、今日より明日、うまくなってサッカーを極めてくれればそれで良いし、ベガルタ仙台というクラブを通してそれを実現できたらなお良いなと思っている。もちろん、幾多の勝利や敗北を通して。それが残留するためだけに、すべてを犠牲にするというのは、もちろんこのクラブの宿命でもあるのだけれど、なんというか、それだけってのは悲しいなと思うわけで。まあそれは僕個人の想いだから、そんなものは置いておいて、お前たちは先に行け。でなければ、死は恐ろしいほど速くやってくる。勝ち点3を取らなければ、我々に未来は、無い。

 

「泳ぐ鳥よ、お前の体が何で出来ているか知っているか?泳ぐ鳥よ、お前の魂は何で出来ているか知っているか?お前の体は宇宙の全てと繋がっていながら、お前にしかなり得ない。お前の魂は宇宙の全てを含んでいながら、お前でしか有り得ない。それはこの私も、そして誰しも。誰かが憎ければ、お前は自分を憎んでいる。誰かを愛していれば、お前は自分を愛している」こう言ったのは、ラフィング・ブルだ。