3月7日の喫茶
「榴ケ岡 神奈子ですか…」
「なによあんた。知ってるの?」
「ええ。業界じゃそこそこの有名人ですよ。」
「業界?」
「スポーツライターにして、コラムニストであり、エッセイスト。スポーツ関係を中心に寄稿した記事は、幾千と知れず。今は、サッカーを活動の軸足を置いて、骨太サッカー専門誌『Foot Lab』の副編集長。政治、文化系を中心に選ばれる『時代の先を行くライター100選』に唯一スポーツ分野から選ばれた新進気鋭のライターですよ。」
「ま、まるであらかじめ紹介文を用意していたかのようね。」
定期購読。
なんて今の状況では口が裂けても言えない。
「いえいえーおじさんがそっち系の業界なので、嫌でも話を聞かされるんですよー。」
「ふーん、なんか怪しいけど。」
さすが、金色。
「それより、そんな人がどうしてわざわざお2人に会いに来たのでしょうか。」
「そうよ宮城野原詩。どうしてよ。」
「……2人というより、私ね。あいつの目的は。」
重い重い重力に引かれた口が開かれる。
「どういうことよ。どうしてあんたなんかに…」
「あいつ、私にライターに、いえ、何でもいいから物書きになれって。なり方が分からないならスタートからゴールまで教えてやるからって。」
衝撃。
「な、な、なによそれ!!!」
「凄いですよ宮城野原先輩。一流のライターに直々にスカウトされったってことじゃないですか。」
「…なにが凄いのか分からないのだけれど。」
「物書きなら誰だって憧れると思いますよ?」
「…なら私は、その『誰だって』には入ってないってことね。」
「宮城野原先輩…」
「あいつが私をスカウトしようが、どこかで死んでようが、幸せな人生を送ろうが一向にかまわないし、この世界が滅んでも私と朗の幸せが保証される以上は、全くなんの興味も、これっぽっちも湧かないのだけれど、あいつが朗を傷つけた事実は変わらない。」
重い。
「ふふ。朗先輩がいたらきっと『ちょっと!!!さらっと世界を滅ぼすのやめて!!!』って言ってるでしょうね。それでその…朗先輩は、大丈夫なんですか?」
「家には居るみたいなのだけれど、出てきてくれはしないし、連絡しても返事が返ってこないわ。」
「そうですか…」
「朗…」
「はああああ…。もうマジ無理なんですけど…」
「「え?」」
重力が突っ伏しながらつぶやく。
「もうマジ無理限界。朗がいないと死んだのと同じじゃない。世界が灰色よ。宇宙<そら>が降ってきたわ。もうこんな世界に何の価値もない。さっさと、隕石でも、コロニーでも、アクシズでも、あっ!アクシズは隕石か…。なんでもいいから降ってきて滅びてほしいものね。そうでないなら、私が直々にこの手で滅ぼしてやろうかしら。その準備はできているし、いえもう実は滅ぼし始めてるわ。はあ無理。あー辛い。しんどい。生きるのがつらい…」
黒いオーラ。
というよりただの女子高生。
あと、ちゃっかり滅ぼし始めるな。
「あんたそれ、ただのノロケじゃないよ…」
一応、家の前には来た。
でも、インターホンを押す勇気はない。
今の時代、彼氏の家に凸るなんて。
誰かが出てくる。
金髪?
「ん?」
会釈をする。
どこかで見かけたことがあるような。
「あらー朗君のお友達かしら?」
「え、ああ、えっと、そんなところです。」
「ふーん。そういうことねー。朗君は、そういうのがいいんだー。」
「あのえーっと…」
「あーごめんごめん。朗君ならお家にはいないわよ。」
「そうなんですか…」
金髪は去ろうとする。
その去り際。
「あなたがちゃんと朗君についてあげなさいね。あなたが世界で一番、彼のことを愛しているのなら、愛し尽くしなさい。」
「………え!?」
「親なんて言うものはね…」
どうして分かるのか。
「親なんて言うものはね、友達の子どもも可愛く見えちゃうものなのよ。」
「そういうものなんですか…」
「そう、そういうものなの。」
そうして手を振って、金髪は去っていった。
向かうべき場所へ。
きっと乙女と薬師が道を示すだろう
自然と足が向いた。
詩は、いない。
なぜだか今は、安心してしまった。
昨日の今日で、どう接してあげれば良いのか、僕には分からなかった。
「お前本当にサッカーのことが好きなのかよ?」
その言葉だけが、僕の頭のなかに反響している。
バケツを被ったように。
反響する。
「やあやあ、朗君。」
振り向くと居たのは、見慣れた顔。
「え、エリーさん!?」
「あらー?まだそっちで呼んでくれるんだー。朗君は。可愛いぞー。」
頭を撫でる。
「ち、ちょっと!やめてくださいよ!もう大学生になるんですよ?」
手を離す。
少し不貞腐れたように。
「親なんてものはね。」
あの台詞。
「親なんてものはね、いつまでも子どもは子どもなのよ!」
今度はぐしゃぐしゃと。
そして抱き着く。
「このこの!なーに可愛い彼女なんか作っちゃって!うちの李七ちゃん、可愛くなかった?まあ、少し小姑っぽいけれど。」
「ち、ち、ち、違いますよ!!というか、ど、ど、どうして!」
「んー?李七ちゃんから聞いたわよー。朗君には、可愛い可愛い彼女さんがいるって。」
「あ、あいつ!!」
「だからね、私、李七ちゃんのこと沢山慰めてあげたんだよー。」
あながち間違いではない。
言い過ぎだけれど。
「そ、そそ、それはえーっと、なんと言いますか…」
「はいはい言い訳は署で聞きまーす。」
「い、嫌ですよ!あとさらっと言ってましたけれど、顔まで知ってるんですか!?」
それは知らない。
さっき知った。
「親なんてものはね、何でも知っているのよ。」
「エリーさん、どうしてここに。」
「お母さんから聞いたよ。ふさぎ込んでるようだって。卒業式前に、何センチメンタルになってるのさ。」
「い、いやそれは…」
「榴ケ岡さんに何か言われたんでしょ。」
どうしてそれを。
僕の。
僕だけのそれを。
「まあこういう仕事してるからさー、彼女からの仕事も受けたし、それなりには連絡とってたりするのよねー。その時さ、あなたのこと、聞かれたのよ。」
「え…。」
「さすがにさ、どうやって知ったのかは分からないのだけれど、本人曰く『世に出回っている情報から合法的に』って言ってたけれどどうなのか。ま、その時は、適当に濁しておいたんだけどねー。」
「そうなんですか…」
「でもその様子だと……会っちゃったか。」
「はい…。」
もうエリーさんの前で嘘はつけない。
僕のもう一人の母親みたいなものだ。
「まーあの人はねー、大人のなかでもエキセントリックなひとだから。悪い人ではないのよ。」
「それが分かるから、こうして落ち込むんじゃないですか。」
本心だった。
多分、榴ケ岡さんは、見てきたものも、感じてきたものも段違いで、表現してきたものだってそう。
だから、僕にはあの言葉がただの罵声ではなく、いちサッカーファンからの問いにすら思えた。
「朗君さー、どうして今の彼女さんのことが好きなのかなー。」
「ななななな何を言って!!??」
唐突に。
からかうのにもほどがある。
「その人を好きになって、その時の感情のまま、今でもいれるのかなって思ってねー。」
「それは…」
楽しい。
詩と話している時が一番。
サッカーのことでも、そうでなくても。
これから?
これからもそうだ。
そのつもりだ。
「『サッカーを好意的に観ている自分』が好きなんじゃねえの?」
本当に好きなのだろうか。
「分からないよね。」
「え……?」
「ごめんね。大人って意地悪だからさ、分からない問を出したりするものなのよ。」
「……。」
「これからのことなんて分からないよね。今ですら、最初の気持ち、変わらずいるかなんてどうやって証明しろって感じだよねー。」
そうだった。
僕にはその自信がない。
大事に思えば思うほど、下手なことは言えない気分になる。
「でもそれでいいんだよ。『分からないことは分からない』で。どこまで分かっているのかをきちんと分かっていればそれで。」
どこまで分かっているのかを分かる。
「そういうものなんですか…。」
「そう。そういうものなの。」
これから分かってくるものなのか。
「だからね朗君。あなたが好きだ!と思ったことは本当に大事にするの。それを忘れさえしなければ、どこで、どんな形であっても、好きでいられるから。」
「……はい。」
「私だって、李七ちゃんが北海道に行って寂しいけれど、でもだからって大好きなことには変わらない。今の状況に合わせた好きを貫くつもりよ。」
「あいつ!!北海道に行くんですか!!??」
初耳だった。
「あらそうよ。あ、まじーことしたかな。あの子、こういうこと隠してそうよねー…」
「まあいいです。今度問い詰めますから。」
「ほんと、朗君は優しいよねー。李七ちゃん、いっぱい助けてもらっちゃって。感謝しているのよ。」
それは、僕にとって、優しい行為なのだろうか。
至極当然のように、僕は李七と過ごしていた。
好きはいつの日か、日常になっていくものなのだろうか。
「じゃ、この辺で。ごめんね、物思いにふけっているところ邪魔して。」
「いえ、別に構わないですけれど。」
「サッカー、嫌いにならないでね、朗君。」
僕は、その言葉の意味がよく、分からなかった。
いや、正確には、字面だけを捉えるなら、よく分かる言葉ではあったのだけれど。
僕がサッカーを嫌いになる日が来るのだろうか。
詩を嫌いになってしまう日が来るのだろうか。
そんなことを想像しながら、僕は帰路についた。
想像だけで寒気がして、鳥肌すらたったのだった。
人物紹介
宮城野原 詩 (みやぎのはら うた)
仙台市内の学校(神杉高校)に通う高校生。
サッカーオタクなのは隠している。観る将。重力少女。
黒髪、肩ぐらいまで伸びた髪は変わらず。
八乙女・ヴィクトリア・李七 (やおとめ・ヴィクトリア・りな)
仙台市内の学校(神杉高校)に通う高校生。
サッカーオタク。見る将。マンチェスター・ユナイテッドファン。金色少女。
金髪ツインテール。 赤いリボンは変わらず。
東照宮 つかさ (とうしょうぐう つかさ)
仙台市内の学校(神杉高校)に通う高校生。2年生
サッカーオタク。観る将。不敵少女。
高身長。一人称が僕。髪は肩ぐらいまで伸び始める。
国府多賀城 朗 (こくふたがじょう あきら)
仙台市内の学校(神杉高校)に通う高校生。
サッカーオタク。観る将。 サッカーの見方を勉強中。
八乙女・ヴィクトリア・英梨 (やおとめ・ヴィクトリア・えり)
英国生まれで作家として活動する李七の母親。
普段は黒髪に染めているが、「気合入れてかかる」時だけ金髪にするらしい。