蹴球仙術

せんだいしろーによるサッカー戦術ブログ。ベガルタ仙台とともに。

黒松華憐に花束を。 #6 (LAST)

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こうして俺達は、国立へ向かうべく、新幹線に乗っている。

ありがたいことに道中の交通費を親が出してくれた。

両親としても、小学校以来のレオン応援となって、少し安心というか、俺に対して禁句ワードにもなっていた『仙台レオン』をすると言うのだから、行ってこいといった感じなんだと思う。

サポートしてやる。

そう言われた。

親父からは託すとも言われた。

懐かしいな。

現地に向かう者にその想いを託す行為。

 

そして肝心の華蓮だが。

さっきから緊張で背筋を伸ばしたまま座席に座っている。

もう大宮だと言うのに。

針金のように硬直した彼女にとって、この試合は試合の重み以上に、彼女の人生にとっても大きな試合になる。

人生初の現地観戦。

もう俺はあんまり覚えていないけれど、目の前に広がった色鮮やかな光景に感動したのは覚えている。

どんな試合になっても、今日という日を決して忘れないような、そんな体験をしてほしい。

まあ今は、それどころではないのだけれど。

 

「長町」

「ん?」

「勝てるかな」

「さあ」

「相手は埼玉なんだろ。強いじゃないか」

「レオンにとっては全部が格上だよ。関係ない。誰だろうと倒すだけだ」

「……そうだな」

「それよりトイレとか大丈夫か。会場でも行けるけど人も多いし、これから移動ばっかりだぞ」

「うん。行ってくる」

 

会場へ向かう道中に、少しずつ今日の2人の主役をサポートしようと集まって来た人を見かけるようになる。

最初はキーホルダーだったりスマホケースだったり。

それが会場に近づくにつれ、マフラーに変わり、帽子が出て来て、ユニフォームへと変わる。

俺達は、決戦の舞台に辿り着いた。

「買い物とかいいのか?」

「うん。大丈夫」

「そうか」

華蓮は、緊張しているが、未知の空間を味わうのと同時に独特の緊張感を味わっているようだった。

スタジアムという治外法権

ここでは大きな声で応援するチームの名前を叫んでも変人扱いされない。

祭りのような日常が目の前に広がっている。

まだ勝敗が決まっていない。

早く決まってほしいような、ほしくないような。

今が一番幸せかもしれない。

いや、一番の幸せは、カップを掲げた時だと思う。

「長町」

「なんだ?」

「スタジアムって、いいな」

そうだ。

そうだよ。

「ああ。俺もそう思う」

 

コンコースを歩く。

私たちは、人垣をかき分けながら、ゲート入り口を目指す。

こんな大群衆、私だけなら怖くて無理だった。

花江が来てくれてよかったと心から思う。

でもそれだけじゃなくて、私の恐怖心は、この会場に着いてからだんだんと薄れていった。

なんでだろう。

多分なのだけれど、みんな、レオンを応援しにきてるんだ。

みんなだって怖くて、不安で、心配なんだ。

それでも、レオンのみんながたくさんがんばれるように、こうやって来ているんだ。

だから怖くない。

私は、怖くない。

 

「ここだ」

入口の前に立つ。

2人一緒にその入口を進み、大舞台へと入っていく。

 

真っ黄色の草原、マグマのように真っ赤の壁、そして空よりも碧いピッチがそこにあった。

まるで、花のように。

大きく振られている幾千もの旗、太鼓の音。

俺は、ここに戻って来た。

頬を伝う涙を俺は拭いもせず、直利不動で、この光景を眺めていた。

全身でスタジアムを感じ、五臓六腑に、レオンの鼓動を感じ、俺はここに居ることを痛いほどに感じていた。

鮮やかなまでの黄と赤。

腹の底まで響く声と太鼓の音。

生きてる。

白黒の世界に、彩りが、水に溶けだしたインクようによう流れ込んでいく。

 

「きれい…」

「ああ、きれいだ」

 

「おかえり、花江」

黒松華蓮は、そう言った。

登場人物

黒松華蓮 ・・・勾当台高校2年生。

長町花江 ・・・勾当台高校2年生。

 

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あとがき

黒松華蓮に花束を。を読んでくださった皆さん、どうも僕です。

最終回、いかがでしたか?

勝戦はどんな結果になったんでしょうかね。

スタジアムに行きたくても行けない黒松華蓮と、スタジアムに行きたくなくてしょうがない長町花江の物語でしたが、彼ら彼女らが少しずつ歩みを進めながら決勝の「舞台」に立ったのは素晴らしいことだったかなと思っています。

誰もが過去に後悔を抱えていて、でもそれを否定も肯定もせず、今や明日の希望を語ることで過去の後悔を救うこともできるのかなあと思っています。

救うと言うと大げさですが、嫌いになったもの、別の誰かが好きだと言ってくれるとなんだか嬉しくなったりするもんです。

何かを好きだと思う感情はすなわち、自分のなかにある好きの感情が無ければ成り立ちません。

それを思い出させる、サッカーを通じて、自分の存在の肯定というのもまた、サッカー観戦の一部なのかなあと思ったり思わなかったり、やっぱり思ったりしていたりします。

声が出せない状況で、サッカーのスタジアム環境が変わってしまいましたが、サポーターの物理的、精神的距離も出てしまいますが、少しでも観戦賛歌、スタジアム賛歌、人間賛歌になればいいなあと思っています。

どうかみなさんお元気で、サッカー観戦ライフを。

では、またどこかで。

せんだいしろー