黒松華憐に花束を。 #4
01
黒松華蓮が何かをやっている。
教室の隅で。
遠巻きに覗いているが、よく見えない。
しっかりと、この夏も暑い。
それでも黒松華蓮はいつもと変わらない。
変わらず凛として、涼しげでいる。
そう、そんな風に見える。
何かを終えた彼女は顔を上げ、周りを見渡す。
そして、俺を見つけ、席を立ちあがる。
こちらへ向かって歩いてきて、きっとこう言い放つだろう。
「長町」
たったひとこと、俺の名前を呼ぶ。
「なんだ黒松」
俺はこうこたえる。
それが、俺と黒松華蓮のはじまりである。
02
「黒ユニ?」
「そう」
「限定ユニのことか?」
うんうん。
と頷く。
「……この前ユニ買ったろ?」
「うん……」
「また2万とかするぜ。バイトでもしないと無理だろ」
「うん」
そう言うと、スマホを見せてきた。
「え?」
そこには、着ぐるみバイトの求人ページだった。
スーパーで、風船をくばるやつだ。
「なあ黒松」
「?」
あまりにその殺人的な広告に、俺はついに殺害予告でもされているのかとさえ思った。
「こんな暑いのに、わざわざ着ぐるみなんか着なくてもいいじゃないか?」
「そうなんだけどな…でもな…その…」
良く見ると、なるほど。
「……『仙台レオン公式マスコット、レオン君と一緒に風船をくばってもらいます』ね…」
「レオン君に会えるんだぞ」
それがなんだと言うのか。
週末スタジアムへ行けば、嫌と言うほど目に入るクラブマスコット。
そいつとクソ暑い中働かなくてもいいだろ。
「黒松。わざわざ一緒に働かなくても、スーパーへ行って会えばいいじゃないか」
「!!」
重大なことに気づいたかのようなリアクションだ。
同時に、ちょっと気負ったかのような反応に、俺が返す言葉は少ない。
そもそもバイトの目的は、ユニを買うんじゃなかったのか?
というか、それはある意味口実だったと、遅まきながら気づいた。
仕方ない。
「はいはい。一緒に行ってやるから。それでいいだろ?」
うんうん!
と、見るからに嬉しそうにする黒松華蓮。
こうして、クラブマスコットを見に、スーパーへ行くことになった。
03
市内某所。
某スーパー、エオン〇〇店。
俺たちは、休日の貴重な時間を使って、きぐるみ…いや、クラブマスコットを見にやってきた。
黒松華蓮はもちろんいる。
2時間前に到着する気合の入れようで、しかも少し緊張しているようだ。
「黒松」
「!」
「驚きすぎだろ…」
「長町は、緊張しないのか?」
「しないよ。マスコットに緊張するって、どういうことだよ」
「だって、あのレオン君だぞ。私はレオン君が好きなんだ。緊張だってする」
好きだから、緊張する。
まるでアイドルに会うかのような発言だ。
アイドル―――
でもレオン君は、いつもサポーター席の最前列で、俺達にまざってアップ中に檄を飛ばしている。
こんな平和な休日のスーパーが、あいつの戦場じゃない。
あいつも一緒に戦っていて、戦友なんだ。
俺たちの心が折れそうなときも、多くは語らないが、姿勢で、態度で、支えてくれた。
あいつは、クラブにかかわるすべての人間の、サポーターなんだ。
そんなレオン君を、あいつらは、あの時あんな風に……
「長町?」
「…ああ、いや、ごめん、少しぼーっとしてた」
「もうすぐやってくるぞ」
もうはちきれんばかりのうれしさで、顔をいっぱいに埋め尽くしている黒松華蓮がそこにいた。
そして、渦中の男がやってきた。
04
レオン君がやってきた。
元ネタはライオン。
碧の獅子、の異名をもつ、仙台レオンの公式クラブマスコットだ。
当たり前だが、キッズたちに風船を渡している。
いつも通り。
スタジアムで、戦闘態勢に入る前の彼は、コンコースでああやって愛想を振りまいている。
そこへ混じる高校生2名。
なんていうか、すごく恥ずかしい。
1人、2人と順番に渡され、ついに、黒松華蓮の番がやってきた。
彼女は今にも倒れそうなな勢いだったが、さすがに彼の前になると、その瞬間を味わおうと必死に立っていた。
風船を渡され、ぽんぽんと頭をたたかれると、黒松華蓮のすべてがはじけきった。
心底よかったなと、俺は思うのであった。
それで、次は俺の番。
―――レオン君が、ホワイトボードを取り出した。
彼のコミュニケーション方法のひとつであるボード芸。
多くは語らないが、彼がボードを出したってことは、すごく大事な時なんだって、俺たちは知っていた。
真っ新なボードに、文字を書き連ねる。
一体、何を書いているんだ。
俺は、長い間、休眠していた緊張を味わった。
動悸を感じる。
ドクドクと、俺の鼓膜は自分の心臓の音で埋め尽くされた。
身体全体が心臓のように思えた。
とても大事な儀式を、俺は目の前で見ている。
感覚がそう伝える。
そして同時に、思い出したくない、忘却の檻へと詰め込んだそれが、眼を覚まそうとしているのを感じた。
俺はいまにも、心臓が爆発して、全身の血液をまき散らすんじゃないかと感じた。
マッキーが、止まった。
ボードを俺に見せる。
『元気だった?またスタジアムで会おうぜ」
俺は、その文章から、目が離せなくなった。
俺は、いったい、何を見ているんだ。
お前はなんで、なんで、俺を覚えてるんだ。
どうして、俺なんかを。
どうして。
お前さえも裏切った俺を。
「……ッ…どうして!」
声にならなかった。
でも、お前は、右手でグーのポーズをとった。
風船くばりは続く。
また1人、2人と、風船を渡していく。
何人もの子どもたちが集まったそのイベントで、ボードを出したのは、唯一、俺だけだった。
俺だけだった。
05
帰り道。
恍惚としていた黒松華蓮も、我に返りつつある。
「長町」
……
俺は、あの出来事で頭が支配されていた。
「レオン君が見せたのって、何が書いてあったんだ?」
当然の疑問だった。
でも、俺も分からない。
俺がサポーターを辞めたのが小学5年の時。
あいつはそれまでずっと俺のことを覚えていたってのか。
「長町?」
「……昔、レオン君が叩かれたことがあって、俺、スタジアムで直接あいつに言ったんだ」
「?」
「『元気出せよ!またスタジアムで会おうぜ!』って」
「そんなことがあったのか…」
「でもそのあと、俺もサポを辞めちまって、その約束、破ったんだ」
「……」
「俺は…本当に最低な奴だと思う」
黒松華蓮は言った。
いつも通り、唐突に。
「じゃあ、レオン君はずっと、長町のことを待ってるんだな」
そう。
「―――スタジアムで」
待ってるんだ。
夏の夕暮れ。
まだ太陽は、輝きを放っている。
その暑さを取るかのように風が、珍しく吹いている。
あいつは、ずっと待っている。
2万人分の1人のサポーターの帰りを。
ずっと。ずっと。
俺はいつでもサポーターを辞められる。
選手だって、監督だって、クラブを、チームを辞められる。
でもレオン君は?
新しくやってくる者たちを迎え入れ、旅立つ者たちを激励する。
そして、離れていった者たちを待っている。
あいつは、あそこで、ずっと、あいつであり続ける。
ずっと。
仙台が、ある限り。
「うらやましいな。誰かが自分の帰りを待っててくれるなんて。それが応援するチームのマスコットだなんて」
うらやましいなぁ…と染みるようにつぶやく黒松華蓮。
彼女にとっては、スタジアムへ行くのに、十分すぎる理由なのかもしれない。
俺に、
とっても。
登場人物
黒松華蓮 ・・・勾当台高校2年生。人生の目標は、スタジアム観戦。
長町花江 ・・・勾当台高校2年生。人生の目標は、特になし。