黒松華憐に花束を。 #3
01
そんなこんなで、スポーツショップにいる。
しかも、サッカーコーナーにいる。
この俺が。
この、というのは、元サッカーファンの俺が、という意味であるし文脈である。
ではなぜ。
それは当然。
黒松華蓮が、その理由だ。
「長町」
彼女は、礼儀正しい。
ある意味。
必ず、俺に何かを訪ねる時に、俺の名前を呼ぶ。
「なんだ黒松」
そういえば、俺達ってお互いを苗字で呼び合っているな。
まあ別に、なんでも良いんだが。
「こんなのはどうだろう」
そう言って、彼女が俺に見せてきたのは、カナリア軍団のユニだった。
「いいんじゃないか」
そんな禅問答をすでに2、3度繰り返している。
元はと言えば、彼女がろくにスポーツショップに入れず、付き添いで行ってやると安易に約束してしまったのが原因ではあるのだが。
まさかファッションショーにまで付き合うことになるとは。
「あまり……似合っていないか?私は結構、イケてると思ったのだが…」
「いや…似合う似合わないってことじゃなくて、黒松がブラジル好きならそれ買えばいいんじゃないか?」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんじゃないの」
改めて問われるとたしかに、正直好きなクラブのユニしか買った経験が無い。
ユニから入ったわけじゃない。
そういう入り方もあるのか。
だから似合ってるとか、ユニが気に入ったとかで、クラブと接点を持つという選択。
分からんでもない。
けれど、俺はそれが正しいのかは分からない。
まずは、クラブがあって、チームだろ。
俺達がサポートするべきは。
いや。
もう、そういうことを考えるのは必要ない。
今の俺にとっては。
「黒松が好きなユニとか無いのか?似合ってたり、有名だったりしても、それを着たいと思えなければ意味ないだろ?」
「たしかに」
そう言うと黒松はうーむと悩むような素振りを見せた。
……私の…好きな…ユニ……
黒松華蓮は何かを呟くと、またユニフォームの山へと駆けていった。
02
黒松華蓮がスマホを凝視している。
何やらI Tubeの動画を見ているようだ。
「何見てるんだ?」
ビクッと驚くように黒松華蓮がこっちを見る。
ふふふ。
奇襲成功。
「……動画を見ている」
「だろうな」
「……」
「何の動画を見ているんだ?」
「I Tuberの動画を見ている」
いわゆる、動画配信者の動画ってわけだ。
「へー、黒松もそういうの見るんだ」
そういうのというのは、こんな俗なものを見るんだという意味だ。
黒松華蓮にとっては、無縁なものにも思えたが。
「私だって、結構、動画を見るんだぞ」
黒松華蓮は、少し拗ねたように俺に反論してきた。
「ごめんごめん。意外だったからさ」
「む……」
明らかに拗ねている。
まずい。
「ほんとにごめんって。それで、動画ってどんな内容なんだ?」
「サッカーだな」
「へー……」
俺の興味が一瞬にして失せた。
なんだよサッカーかよ。
よりによって。
いや、黒松華蓮のことだから、それはそうか。
「最寄り駅からスタジアムまで歩きながら、街のことを紹介したり、スタジアムグルメ?の実食レビューとかもあるんだ。結構面白いぞ」
「…そうなんだ」
「あえて家からスタジアムまで歩いて行くチャレンジ企画とかもあって、2時間もかけてスタジアムまで行ったりして面白いなって」
たしかにI Tuberっぽい。
「それでも試合になると、あんなに声だしたり跳んで喜んだりして、疲れてるのにまた歩いて家まで帰ったりして。ほんと、面白いなって」
「そんな企画あると、動画見てても飽きないし面白いよな」
「いや違うんだ長町」
「え?何が?」
「私は、『サッカー』が面白いなって」
「サッカーが……?」
「そんなになってるのに、疲れを忘れさせるくらいに夢中になれるものなんだって」
……
「すごく、すごく良いなって」
「そうか」
俺は、知っている。
勝った日の帰り道、どんなに遠いアウェイスタジアムからの帰り道でも、楽しくて足は軽くていつまでもスタジアムで体感した、ふわふわとした夢の続きを感じられる。
逆に負けると、いつも通い慣れているホームスタジアムから家までの道が、永遠にも思えるほど遠くに感じる。
スタジアムで纏ってきた感情をそのまま、家のソファにまで持ち込む感覚、微かに残る芝の匂い、それらに包まれながら、俺は眠りへとつく。
俺は、知っている。
それが、『夢中』なんだって。
知っている。
03
黒松華蓮がユニの山から下山してきた。
「どうだ。これ、良いだろ?」
とても自慢げに見せてきた。
「いいんじゃないか。気に入ったのか?」
うんうん。
と頷く。
「イタリアか。アズーリって呼ばれてる。青いユニ、良いと思うよ」
嬉しそうに眼を輝かせる。
はいはい。
良かったな。
「試着はしたのか?ユニによっては、タイトだったりダボついてたりするからチェックしておいた方がいいよ」
「……!」
試着室へと消える。
出てきたころには、彼女はすっかりアズーリだった。
しかも、なんだろう、なんていうのかな、その、すげー似合ってたし良かった。
「どうだろう…?」
「ん?いいんじゃないの」
嘘だ。
めちゃくちゃ良い。
なんつうか、めっちゃ可愛い。
「あまり似合っていないか?」
当たり前だ。
当たり前になりすぎて忘れていた。
黒松華蓮は、一番の美人だ。
黒髪に切れ長の目。
その目はすべてを吸い込むように真っ黒だ。
背筋もしゃんとしている。
凛としている。
それはただ、サッカーについて話したいけど話せない事情があるからなのだけれど。
そんな彼女がユニ姿に。
青も似合う。
こんなんで、ポニーテールとかにされた日には、たまったもんじゃない。
正気じゃない。
「いや似合ってる。絶対に」
しまった。
つい語気を強めてしまった。
「……ふふふ。ありがと」
そう黒松華蓮は、笑った。
それ以上、俺は、彼女を直視できなかった。
04
レジ前に飾ってあるモニターに試合の映像が流れている。
再放送っぽい。
「あれはどこのチームだ」
俺は、知っている。
「あれは……」
いや、知らない。
あんな奴ら、俺は、知らない。
「地元のチームだよ。仙代レオン」
「なんであんなに喜んでるんだ?優勝でもしたのか?」
「違う」
「?」
「……この試合は、リーグ戦が中断して再開した後の最初に試合。その試合で、レオンが勝ったんだ」
「中断?何かあったのか?」
「……この試合、10年前なんだ。あの時、大変だったろ」
「……!」
「1-1の同点。84分に、右サイドの大牟田がスペースを駆けあがて、最後は転びながら右足を振りぬいたシュートが決まって逆転」
「……」
「みんな足つってたんだ。当然ゴールした大牟田も。でも66分に同点にした瞬間から、俺達は絶対に逆転できるって思ってた」
「……」
「そして逆転した。あれは奇跡だったんだ。でも、俺達が掴み取った奇跡。少なくとも、俺はそう思ってる」
黒松華蓮は、何かを察したかのように黙ってしまった。
テレビで見た、伝説の試合。
当時優勝候補の筆頭と言われていた神奈川相手に、逆転で勝った試合。
小さかった俺でも、最高の試合だと分かる試合。
大人たちがみんな泣いてた試合。
俺をサポにするのに十分なくらい、伝説の、思い出の、試合。
どうして俺は、まだ覚えてるんだ。
それに、いま「俺達」って……
「……だからみんな、勝ったのに泣いてるんだ」
「そう。雨でぐちゃぐちゃになって訳わかんないけど」
「…私には分かる。分かるぞ」
そう言うと彼女はまた、ユニの山へと向かっていった。
「黒松?」
走って戻って来た彼女の手には、レオンのユニが、あった。
黒松華蓮は、俺を見て、こう言った。
「私は、このチームを応援する」
黒松華蓮は、俺がかつて応援していたチームのサポーターになると、
そう宣言した―――
登場人物
黒松華蓮 ・・・勾当台高校2年生。人生の目標は、スタジアム観戦。
長町花江 ・・・勾当台高校2年生。人生の目標は、特になし。