華は咲き、詩になる。
3月7日の帰路。
神の出現と少年の敗北。
宮城野原 詩にとっては、新たな未来の可能性が生まれた。
今は、待つしかない。
彼を。
朗を。
朗の家で会った金髪の女性と別れ、私は自分の家へと帰っていた。
何をするでもない。
考えるのは、明日、私は何かしらの答えを出さないといけない。
私のためにも、朗のためにも。
これは、ひとりの少女、いや重い想いを持つ重力少女が、味方であり敵であり、子どもであり親であるひとりの女性と交わす与太話。
境目などなく、時に境目のあちらとこちらとを行き来し、私たちを構築するただの、
与太話。
「あら。お帰りなさい。」
家の扉を開けると、よく見た、いえ、今は少し離れているから正確にはあまり見ない顔がそこにはあった。
「……ただいま。」
兄や姉に対する言説には、様々な説がある。それも昔から。
時に絶対的な存在として立ちふさがり、またある時には人類種の敵として、私たちを打倒してくる。
でも次の瞬間には、全ての弾丸から守ってくれる大きな壁になり、降りかかる千の矢を打ち砕く剣となる。
少なくとも私の姉は、そんな姉だった。
姉が歩いてできた道を私は、歩いてきた時もあるし、全く無視した時もある。
そのたびに姉は、そう私の姉は、連れ戻そうとする。
大勢の軍隊を引き連れてくる時もあれば、たったひとりで、親にも内緒で来ることもある。
そんな姉を私は、理解できなかった。
親の顔も、姉の顔も、兄弟の顔も、女性の顔も、人間の顔も、悪魔の顔も持つ姉を。
でも、理解はできないが、決して嫌いではなかった。
口で言うほどは。
「はな姉。帰ってたんだ。」
今はひとりの社会人となったその女性との出会いに、私は少し驚いていた。
だって卒業式はまだ先だ。
「ええ。ちょうどさっきね。午後休取って会社からそのまま。あんたの卒業祝いがあるでしょ?その日仕事が入っちゃっていけないのよ。今日は、その埋め合わせ。」
「ああ、そうだったの。ごめんなさい、わざわざ来てもらって。」
私は姉のことを尊敬していたし、尊重もしていた。
憧れでは決してないが、立派な、凄いひとだなと思っていた。
「いいのよ。普段は、暇だから。新生活の買いだしとか手伝えると思うわ。」
「そう。ありがとう。」
「卒業おめでとう。詩。大学生、がんばりなね。」
姉は、とても捌けている。
そんな姉の一面に救われたし、時に驚くこともある。
「……?浮かない顔ね、どうかした?卒業がそんなに寂しいの?」
「いえ…そういうわけではないのだけれど…」
「…?」
私は、私がこの短期間で経験した、卒業する直前に体験した、抜け出すことを許されないほど惹きこまれた濃厚な進路体験について語れるのは、私が知りうる限り、こと人生の先輩でありながら少し先を歩く先輩ということに関して言えば、姉が適役とも言うべき相手だと気づいた。
「私は、反対よ。だってあんたどうする気?そんな現実的じゃない進路なんて。」
私は、私の体験を語ると同時に、神の啓示に従って、示された道を歩いてみようと言ったのだ。
『物書きになる。』
私に何が書けるか分からないのだけれど、分からないが、あの人には分かるのだ。そしてなにより、これを断れば、私は朗に対して何か不義理を果たしているような感覚があった。
朗に気を遣って、傷ついた朗に同情して、この話を断ったと思われたくない、というのが本心のところだ。
恐らく、姉はその辺りを察知して、敏感に感じ取って、本心のところを探り当てて、私が決して『積極的に』、いや、消極的にこの道を選んだということに気づいたのだ。
「仮に大学在学中にその、『物書き』とやらを続けて、記事を寄稿して、まあその副編集長って人の指導があったとしてそれでどうするつもりよ?」
「もし上手くいけば、いえ、あの人のことなら上手くいく。成功する。多少の挫折や失敗はあれど、遅くとも大学卒業時点では一端の物書きになれるところまで引き上げる思うわ。」
宮城野原 詩の理解については、ひとつの誤解がある。
ただ、この誤解はある意味仕方ないのないことで、この短時間の接触で「よくここまで榴ケ岡 神奈子を理解したな」と言うべきだろう。
しかし、その分、決定的な理解にまで至らなかった。
なぜなら榴ケ岡 神奈子なら、彼女の手にかかれば、彼女の眼に見いだされ神の啓示を受けた人間に、『大学卒業までの4年』もの時間はかからないということだ。
この場合、恐らくは、深層部分についてはそれを理解していたかもしれない。
でもそれをひとつ口走ろうものなら、こんな拒否反応だけでは済まない。
『大学を中退して物書き?馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ!』
まあ概ね、こんなところだろう。
しかしそれでも、この姉の現実攻撃は続く。
今はもう、大軍を引き連れた軍団長の、彼女をお腹を痛めてこの世に産み落とした親のように、普通の世界<こちら側の生活>に引き戻そうとしている。
「たとえそうだとしても、そんなことが4年間も続けられるの?あんたがサッカー好きなのは良いけれど、それって商業デビューってことでしょう?そんな甘い世界じゃないし、なったとして続けられるの?」
何度もループして考えたことだ。
それがはな姉の声になって、反響したのに変わっただけだった。
「自分がやれるか試したいのよ。ダメなら諦める。逃げかもしれないけど、きちんと見切りはつける。」
「その見切りが付くまで続けられるのかを聞いているのよ。あんた、彼氏に気を遣ってこんなことを考えてるんでしょう?」
「……」
「出発地点の動機が不純だと、その後苦しむのは自分だよ?」
「分かってるわ!でも、自分の進路は自分で決める!」
「もう決まったじゃない!それじゃあダメなの?何がダメなの?急にその、副編集長に会って、彼氏がボコボコにされてそれで急に何をするっていうのよ!」
もっともだった。
分かっていることだった。
あの人に会わなければ、私はこんなことを言ってはいない。
その時点で、私の動機は、そう不純なのだ。
「詩ね。私、父さんと母さんのために、こっちに帰ってきたのよ。」
私は、姉の意思を知らない。
いや正確には、何を考えて、何を決めたのかを知らない。
東京の大学行って、就職は地元にしてって、私からしたら好き勝手やっているようにも思える。
「私ね、ずっと母さんや父さんの期待に応えたいと思ってきた。今も思ってる。いい大学行って、近いところに就職して。いえ、その前からもずっと。」
「はな姉…」
「あんたにとって、良い姉であれという期待にも。私は、私ができることをすべてを尽くしたいと思ってきた。それはでも、強制されたものじゃなくて、期待とその期待を超えたところにも行きたかった。もちろん、私がやりたいことで。必ず。」
それでも、私の姉には、何かの後悔があった。
顔の表情はその捌けた口調とは裏腹に、少し、冴えない。
「それでも、私はここまでだった。期待に応えたり、あんたを守ったり、今みたいに親の真似事をしてみたり。私がやりたいことはいつしか、『私がやれること』に変わっていたんだ。」
そんなに寂しそうな顔をしないでほしい。
私は、その気持ちを恥じた。
これが姉を、姉さんを、はな姉を苦しめていたのかもしれない。
私が期待する『姉』に。
「だから…いえ、だからどうだとは言わない。だってこれは、私の人生だから。あんたにはあんたの人生があって、私とは違う。違うけれど、少し先の人生を歩いた人間の、姉としての少し言いたいこともあるのよ。」
はな姉は、心配しているのだ。
誰の期待でもない。
私を、たった一人の妹が卒業式前に苦しんでいる。
それを見過ごせない。ほっとけない。他人行儀なんてできない。
だって、家族だから。
「今の『やれること』で『やりたいこと』を選ばない。今の『やりたいこと』でこれから『やれる』ことを増やしていきなさい。」
「はな姉…私…」
「『大切なひとを想い気遣う』ことと『期待を勝手に解釈する』ことは違う。まあ結局、期待なんてものは無くて、不安な自分がそれにすがっているだけかもしれないけれどね。」
私にはそのどちらも、『やさしさ』に思えた。
でもきっと違うのだろう。
それもまた、私が体験して、経験にしたい。
私にはまだ知らないことがある。
それを知る方法すらも知らない。
こうして、少し先を歩くひと達から、少しずつ教えてもらう。
私はそれでいいと思った。
きっと、そうきっと、朗のことも少しずつ分かるのだと思う。
今がすべての終わり、世界の終わりなんかでもなくて。
何もかもが始まるんだ。
「ありがとう。はな姉。私、分かったわ。」
「言いくるめちゃった?」
こういう姉だ。
自分の言ったことの妹への影響を気にする。
やさしさ。
「ううん。最初からがんばると大変だなと思った。もう少し、ゆっくり歩いてみようと思う。」
「そう。まあがんばってみなさいな。」
「うん。」
「でもいいなー、彼氏のためにそんなにがんばれちゃうんだもんなーーー。」
「はな姉、この前合コンとか行ってなかったっけ?」
「人類はみな不平等なのよ。」
「はな姉はもっとがんばった方がいいと思うのだけれど。」
「あーーーうるさいわ!」
「ふふふ。」
先に歩く者に敬意を。
後に続く者に加護を。
消えていった者に祝福を。
生まれてくる者に未来を。
たったひとりの姉に、
感謝を。
人物紹介
宮城野原 詩 (みやぎのはら うた)
仙台市内の学校(神杉高校)に通う高校生。
サッカーオタクなのは隠している。観る将。
黒髪、肩ぐらいまで伸びた髪は変わらず。
宮城野原 華 (みやぎのはら はな)
詩の姉。都内の大学を卒業後、仙台市内で働いている。
黒髪ロング。 詩と違って、さっぱりと捌けている。