プロローグ。そして、終。
その人はたしかに、まるで確信を突いたかのように、それは世界の理をすべて知ったかのように、驚くほど鋭く、そして確実に僕の心臓を貫いてきた。
「お前本当に、サッカー好きなのか?」
紅く、艶やかな髪の毛を振りかざし。
恐ろしく、そして切れ長の目をしたその人は、僕の眼をじっと見つめたまま、何重もの防御壁を突き破り、いや、無効化して、僕の心の奥底に着底した。
「お前がサッカー好きなのってさ、別にサッカーだからとか関係なくて、サッカーを観ること自体に意味を見出してんじゃねえの?」
一言ずつ、そして一言ずつ、僕を絶望の淵へと追いやるのである。
「それってさ、サッカーが好きなんじゃなくて、『サッカーを好意的に観ている自分』が好きなんじゃねえの?」
目の前にいる紅い羅刹は、ゆっくりと天国の扉を開くのである。
こうして、僕の、高校生活最後の3月が始まった。
3月6日のことである。
流れる季節
「おめでとう八乙女さん。」
「なによいきなり。」
「なにって、だって今日は合格発表だったのでしょう?その様子だと、合格したのだと思って。」
「当たり前じゃない。約束された勝利よ。まあでも、ありがとうね。」
「寂しくなるわね。」
「ねえ…朗には言ってないよね?」
「安心して。あの約束を破るほど薄情じゃない自負があるわ。」
「ありがとう…でもあんた、この状況で本読んでるぐらいには薄情だと思うのだけれど。」
開かれた『ペップ・グアルディオラ キミにすべてを語ろう。』。
「あらごめんなさい。今いいところなの。」
「ほんと、最後まであんたらしいわ。」
ドアが開く。
「お待たせしました、宮城野原先輩、八乙女先輩。」
不敵少女だった。
「遅いわよ。待ちくたびれて後半32分ぐらいの気分よ。」
「それはそれは。まさに試合のクライマックスってとこですね。」
「来てくれてありがとう東照宮さん。用事は、大丈夫なのかしら?」
「ええ。さっさと済ませてきましたから。」
「じゃあ、始めましょうか。」
本を閉じる。
「東照宮さんにも付き合わせてしまってごめんなさいね。あと朗なら、しばらくしたら来ると思う。」
戦術ボードが出る。
「では早速、高校最後のサッカー与太話といきましょう。」
ビルドアップvsプレス
「さあ、この日を待っていたのよ!ダビド・デヘアのセービング集なら、今ここにいぃいぃぃぃぃぃぃいぃ!!!」
スマホをかざす金色少女。
水戸黄門か。
「いいから八乙女さん。その恥ずかしいスマホを今すぐしまってくれるかしら?」
辛辣な重力少女。
「ははは…」
特に興味がない不敵少女。
「なーにが恥ずかしいっていうのよ宮城野原詩!!!」
「何がって、何もかも全てに決まっているじゃない。その耳が付いた軽薄な赤いスマホのことを言っているのよ。」
赤いケースに、耳のようなものがついたスマホ。
赤いマンチェスターのクラブロゴがケースにはデザインされている。
よく持ち歩くな。
「赤い悪魔よ!!!何が軽薄だって言うのよ!!!」
「そもそもプレミアのチームって、同じ赤色ユニばっかりで、どれも同じに見えてしまって苦手なのよね…」
「宮城野原先輩、まあ八乙女先輩が怒る分には全く問題ないですが、一応全国のプレミアファンには謝っておいた方がいいんじゃないでしょうか。」
「あら?そういうものかしら。」
あらぬ方向から怒られそうだ。
「あたしにも謝れっての!!!!!!!」
「それで、宮城野原先輩。今日僕たちを呼んで、高校最後のサッカー与太話をすると聞きましたが、どのようなことを話すのでしょう?」
「ビルドアップvsプレスよ。」
不満そうな女子ひとり。
「ぶーぶー。まーたあんた達オタク歓喜な内容で草も生えないわ。」
「そのオタク丸出しの単語で話すの止めたらどうかしら、一乙女さん。」
「八乙女よ!!!」
「ごめんなさい、3.14乙女さん。」
「円周率ですって!?」
「まあ、この際、九でも十でも良いのですけれど、宮城野原先輩、サッカーの攻防においてある程度両チームの意図や型が見えやすく、試合の先行きも左右するビルドアップとそれを妨害するプレスをここで話そうというのですね?」
「さすがの説明口調ね東照宮さん。その通りよ。でも、わざわざ説明しなくてもいいんじゃないかしら?サッカーを知らないひとにも分かりやすくがテーマだというのに、ニッチで根暗なオタク層が喜びそうな展開のおかげで、初見バイバイになっているのが何とも嘆かわしいわ。」
最後だからって、メタ発言は許されないぞ。
「あんたサラっと先輩の苗字を何でもいいみたいに言ったわよね。」
もう話が進まないのだよ君たち。
何度でも繰り返されるくだり。
「想定は、ハーフライン付近でのビルドアップ、つまりは<ボールを持ったチームがパスやランニング、ポジションを取ることでボールを前進させていく過程>ということですね。」
「そう。守備側、つまりはボールを持っていない側がそれを制限して、ボールを奪おうとする、前進を阻もうとする部分ね。」
「ちぇ…前線に蹴っ飛ばしてウィングが走ったり、センターフォワードがディフェンダーと競り合うのだって、超面白くて激萌えなのに…私は、蚊帳の外ってわけね。ベルバトフの話したかったなー。」
「それは違うわ八乙女さん。」
「え?だって、ビルドアップって、ピッチの真ん中ぐらいでパスをちまちま繋いだり、走り回ったりするアレのことでしょ?『ボールが大事』がモットーで、蹴ったりするの敬遠されているんじゃないの?」
「ビルドアップの大前提は、前線へボールを送ることが優先されるわ。正確には、ディフェンスラインの裏へだけれど。」
「そうなの?でも競り勝てなくてボールを取られたら意味ないんじゃ。」
「もちろん、むやみやたらに蹴ることではないんですよ八乙女先輩。一番遠い、つまり相手陣に近い場所にスペースがあれば、迷いなく蹴ることが大前提です。だって、一番得点の可能性があるんですから。」
「東照宮さんの言う通り、相手にそのスペースを消されてしまうから、しっかりとボールを動かしながら、ポジションをとり、ランニングしてスペースを使ったり作ったりするの。決して、『ボールを回したいからボールを回す』のではないの。チャンスがあるなら、迷わず前線にボールを送るべきよ。」
「そ、そういうものなの?私てっきり、ヴェンゲル・アーセナルのように崇高な理想を掲げて戦うことのように思えちゃって。」
「まあ、たしかにあれは崇高な理想のもとやってそうですけれどね。」
「でもそんなチームであっても、勝つためにやっているのだから。勝つためにビルドアップがあり、プレスがあるものなのよ。」
人物紹介
宮城野原 詩 (みやぎのはら うた)
仙台市内の学校(神杉高校)に通う高校生。
サッカーオタクなのは隠している。観る将。重力少女。
黒髪、肩ぐらいまで伸びた髪は変わらず。
八乙女・ヴィクトリア・李七 (やおとめ・ヴィクトリア・りな)
仙台市内の学校(神杉高校)に通う高校生。
サッカーオタク。見る将。マンチェスター・ユナイテッドファン。金色少女。
金髪ツインテール。 赤いリボンは変わらず。
東照宮 つかさ (とうしょうぐう つかさ)
仙台市内の学校(神杉高校)に通う高校生。2年生
サッカーオタク。観る将。不敵少女。
高身長。一人称が僕。髪は肩ぐらいまで伸び始めている。