「流れよ僕の涙」と、少女は微笑んだ。
僕にとって、僕の人生にとって最も悲しい出来事だ。
それだというのに、僕の目からは、一粒の涙も流れなかった。
目の前の現実を受け入れたくない。
ただその一心だったのかもしれない。
でも、こんな悲しい状況において、「泣く」という行為は、ある種の通過儀礼である。
ひとしきり泣いてしまった方が、新たに気持ちを入れ替えることもできる。
それすらも叶わない。
僕は、この出来事を一生、抱えて生きていかねばならない。
ーーー僕は、朗先輩を絶対に忘れない。
「なんで他人の卒業式を世界の終わりみたいにまとめてるんだ。」
国府多賀城朗。
本日、3月9日をもって卒業となる。
「おや?さすがですね、朗先輩。僕の心の声を読み解いてしまうとは。読心術でしょうか?それとも超能力者?」
「その、『お察しの通り』みたいな口調で僕を超能力者扱いするのは止めろ。全部口に出てるんだよ。」
「これはこれは。僕としたことが。いやーーー朗先輩が卒業してしまうからって、何も悲しいことなんて無いんですからねーーー。」
「いまさら取り繕っても意味ないだろ…」
「それで?これが最後のご挨拶というわけですね朗先輩。」
「まあ、地元には残っているわけだし、暇な時にでもまた遊ぼうぜ。」
「全く。僕は、今年から、朗先輩がたった今卒業した3年生になるのですよ。ただれた大学生と違って、人生懸ってるんですよ?」
「僕というか、全国の新大学生にまずは謝りを入れた方が無難だと思うぞ東照宮。」
「次はいつお会いしましょうか?アフリカでもブラジルでもモザンビークでも、どこへだって行きますよ。」
「とんでもないところに行こうとするな!」
「女子高生と男子大学生の恋って、とっても禁断な香りがしませんか朗先輩?」
「他人のことをただれてるって言っておいてそれはないですよ東照宮後輩!!!」
「別にいいじゃないですか。バカ。私だって、めちゃくちゃに懐きたい時があるんですよ。察してくださいよ、この朴念仁。ラノベの主人公やってないでくださいよね。」
「ちょっと!その罵詈雑言のストーミングやめてって!」
「何度でも言いますから。バカ、バカ、バカ。馬と鹿でバーカ。もう学校で会えなくなっちゃうじゃないですか…」
「だからさ、また会おうぜ。」
「約束ですよ。破ったら私、泣きますから。」
「お前との約束なんだから、破るわけないだろ。」
「………ほんと、適当にあしらってくれたら諦められるのに。大馬鹿者。」
こうして僕は、最上級生になる。
後輩最後の春休みが幕を開ける。
これは、東照宮つかさにとって、勝負の春休みの与太話だ。
帰り道。
朗先輩や宮城野原先輩とのしばしの別れ。
盛大なからかいも、ちょっかいも、先輩いりじも、しばらくお預け。
彼女には彼女の運命がある。
邂逅。
「見つけたわ。東照宮つかさ!」
振り向く。
「さあ、私と勝負しなさい!」
振り返り見なかったことにする。
「ちょ、ちょっと!!!何無視してくれちゃってるのよ!!!」
構わず歩く。
「ま、ま、待ちなさいよ東照宮つかさ!!!」
歩く。
歩く。
僕は歩く。
徒然な日。
「す、少しは話を聞きなさいよ東照宮つかさ!!!」
歩き回る。
街頭を中心に衛星軌道を描くように。
「ま、待ちなさいって…言ってる…でしょうって……」
目くらまし。
星が回る。
「ふ、ふにゃあああ……」
そしてまた歩き始める。
決して振り向かず。
でもそれも、10分後には同じ光景を見ることになる。
「見つけたわ東照宮つかさ!さあ、私と勝負しなさい!」
チッ。
仕方ない。
「なんでしょう?僕に一体何の用だと言うのでしょうか?」
「とぼけないでよ!今日『は』絶対勝つんだから。」
佳景山 御前。
神杉高校2年生、もとい新3年生であり東照宮つかさの同級生。
自称、永遠の宿敵<エターナルライバル>。
見た目は普通の女子高生。
ただ、彼女への闘争心だけが異常。
「また勝負のことですか?襟裳岬さん?」
「違う!!!佳景山 御前だ!!!」
「これは失礼しました。金華山さん。」
「どうも『佳景山さん』と言うと、サンサン七拍子が始まりそうでやっかいなんですよね僕にとっては。」
「だから佳景山でいいって何度も言ってるじゃない!それか御前でも結構よ!」
「他人のことを呼び捨てで言うのは、どうも僕の主義とは合わないと言うか。」
「ま、まあアンタらしいわよね。そういう敬称つけるのは。立派な主義だと思うわ…」
「いえ、別に親しくも無いのに呼び捨てで呼ぶのに抵抗があるだけですよカケヤマサンサンミサキさん。」
「だ・か・ら!!!!!!『さん』を増やしてリズミカルに言うなっての!!!それにさらっと親しくないとか言ってくれちゃって!!!自分で言うのもなんだけれど、腐れ縁じゃないの私たちは!!!」
「おや?そうでしたっけ。このところ忘れっぽくなってしまって。どうでもいいことは優先して忘れているんですよ。」
「私の名前を忘れるなあああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」
「とにかく!今日こそは、勝たせてもらうわよアンタとの『1対1』!」
「やれやれ。何度やっても無駄じゃないですか佳景山さん。」
「無駄じゃないわ!次は必ず勝つ!」
「ここまで0勝99敗のあなたから湧き出る自信は、何が源泉なんですか…」
「うるさいわね!アンタに勝つことがどれだけの意味を持つか。金の価値があるのよ!」
「金の価値ねえ…僕にとってはそう、何のメリットも無いのですけれどね…」
「き、99回も勝っておいてメリットが無いとか言わないでよ!」
「それで今日は、いや、今日もあなたが止める方で良いんですか?僕が攻撃側。いわゆる『ドリブルで抜く側』で。」
「いいわ。必ず止めて見せるから。」
「そういう根拠のない自信は、DF側にとって致命的な思考ではないんでしょうか?予測と集中が大事なんですよ佳景山さん。」
「分かってるわよ!アンタに言われなくたって!」
「そもそも先に動いてしまうのはDFとして致命的なプレーでは?『後の先』と言いますけれど、いかに我慢して相手の挙動を見極めたうえでのプレーができるかが肝心だと思いますよ。」
「うるさいうるさい!分かってるっての!!」
東照宮つかさは、上手い。
サッカーが上手いのは間違いない。
ただもっと根本的な、身体の使い方、運動が得意といった方がこと彼女に対しては正確であり自然だ。
そんな圧倒的とも言うべき差を現実的なまでに突きつける。
この高身長は。
「身長差は言い訳にしないでくださいよ。ハイボール処理とかではないのですから。」
「どんなことだろうと言い訳なんかしないわ。アンタに勝つ。それだけよ。」
「どうして…」
「どうして、そんなにも僕に勝ちたいのですか?あんなに負けていて、言ったら一度もボールに触れられもせずに。どうしてまだ勝とうと思ってるんです?」
「…!」
「正直なところ、僕は特に勝てても嬉しくもないし、どうでもいいとすら思います。佳景山さん。純粋にあなたがそこまでして勝ちたい理由が知りたいのです。だって、勝っても何もならない。罰だってない。こんな不毛とも呼ぶべき勝負にそこまでのこだわりを…」
「私は、アンタに、『東照宮つかさ』に勝ちたい!」
「…!」
「たった一度でもいい、無敵と、不敵と言われたアンタに私は勝ちたい。不毛?そうね不毛かもしれない。けれど、私にとっては重要。誰にも負けないアンタに勝つこと自体が大きな価値がある。そして、アンタに挑み続けることに意味がある。」
「……」
「そうね。勝ったからって何があるかなんて知らない。だって私は、アンタに勝ったことがないから。アンタに勝たないことには、見えない世界がある。それが、目指すべき場所じゃないかもしれない。でも、それは『勝った奴』が言える台詞よ。」
「…」
「ポゼッションできない奴が『ポゼッションしたところで意味がない』と言っても、何の意味も無い。その頂に登った奴だけが吐ける台詞。」
「…その頂に登った奴だけが吐ける台詞…」
私は結局、朗先輩に想いを果たせなかった。
口から出る安い愛情とは別の、深く、重い恋を。
私は、朗先輩との日常を、知らない。
「高校に入って私はそこそこに、いえ、それなりに運動が得意でどんな競技でも苦にしなかった。でも、アンタはその上をはるかに超えていった。私にはそう見えた。」
例え話。
恐らく、佳景山 御前以外の誰かが東照宮 つかさに勝負を挑むことはない。
勝負を挑めるだけでもとても凄いことなのだ。
これが彼女の言う「頂に登った奴」ができることなのだ。
「……また負けるかもしれませんよ?次も、その次も、同じ結果かもしれませんよ?」
「そうねそうかもしれない。これまでの99回がそれを物語っている。でも、ここで引き下がれば、ただ『99回負けた』事実しか残らない。今日勝って、『勝つために99回準備した』と私は言いたい。」
「……!」
「言い訳かもしれない。屁理屈かもしれない。でも負けたくない。負けるのは、死ぬほど、悔しいから。」
「……」
「私は、もう99回も死んだ。だからもう死なない。必ず生きて帰る。」
負けるのは、死ぬほど悔しい。
そんな感情を持ったのは何時以来か。
そう、朗先輩が宮城野原先輩を選んだ時くらい、か。
「…分かりました。では、着替えてきますので30分後に会いましょう。」
「よし!逃げるんじゃないわよ!逃げたらアンタの家に押しかけてでも勝負してもらうから!」
「逃げませんよ…絶対に…」
「それで?場所は?」
いや、私は、ずっと悔しい想いをしてきた。
「……勾当台公園!」
2人のガンマン、いや、女子高生がスポーツウェアを身にまとい向かい合う。
1対1。
東照宮 つかさがドリブルで抜くか。
佳景山 御前がボールを取り上げるか。
記念すべき100回目の勝負。
「準備はいいですか?ルールはいつもの通り、私が抜いたら私の勝ち。あなたがボールを取ればあなたの勝ち。いいですね?」
「いいわ。いつでもいけるわ!」
「では、この石を投げるので、地面に落ちたら勝負開始です。」
右手に握る石。
天高く放り投げる。
一瞬が、静寂が、永遠にも思える。
永遠の宿敵と相まみえる。
石が、落ちた。
「!!!」
「!!!」
ボールを持って仕掛ける高身長。
闘争心がそれを迎え入れる。
闘争心に動きはないが、リラックスしている。
目の前を遮る闘争心に突っ込みながら思う。
これまでの自分を、今までの自分を。
結局私は、朗先輩に想いを、本当の想いを伝えないまま今日を迎えてしまった。
いつもみたいにはぐらかしたり、冗談を言ったり、安い愛情を振りまいたりばかりで。
私は、私が朗先輩のことが好きだったこの感情をちゃんと伝えられたのだろうか。
宮城野原先輩に気を遣って、何も言えなかったんじゃないか。
何を言えて、何が言えなかったんだろう。
私は、これまで、「何に勝って、何を失った」のだろう。
もうすぐ手の届く距離まで接敵する両者。
限界まで見極める闘争心。
それは、高身長も同じ。
ギリギリまで、相手の重心、力の入れ具合を見極める。
いや、高身長にとっては、それが見極めずとも「分かる」のだ。
抜きにかかる。
ボールを跨ぎ、懐にしまう。
ヒールでボールを弾きだす。
クライフターンとも呼ばれたその技を彼女は、誰に教えられたわけでもなく、自然と、いつの間にか手に入れていた。
視界が開ける。
相手の重心を逆方向に持って行ったのだ。
もう追いかけてこられない。
次の瞬間には、身体「だけ」が、開けた視界にあった。
ボールは、佳景山 御前が持っている。
彼女は最後にベンチに向かってシュートまで打った。
完敗だった。
「い、い、い、いよっしゃああああああ!!!!!!」
「……」
「見たか!!!見たか!!!勝ったぞ!!!ついにアンタからボールを奪った!!!やったやった!!!」
「…僕の負け…ですか…」
私は、初めから、負けていた。
「アンタさっき言ってたわよね?『予測』と『集中』だって。でもそれは、合っているけど、ひとつ足りないものがある。」
「?」
「『準備』よ。アンタのフェイントは、アンタの感性で体得したもの。だけど、それはいくつかのパターンに分けられた。大きく分けると5種類。そのうち最も繰り出される頻度が高いのが…」
「………今日のクライフターンだったってわけですね…見事です…」
「でも、実際にどうなるのかはやってみないと分からない。だからずっと緊張しっぱなしだったけれど。」
やってみないと分からない。
私は、やらずに知ったこと、やってみてもすぐ分かってしまうことばかりで。
何も知らない。分かってないんだ。
「勝った!勝った!ついに100回目にして!あの東照宮つかさに私は勝った!!!」
涙。
涙があふれてきた。
これまでのすべてを込めて。
大粒の涙が。
山の頂上で孤独だった少女が、無敵で不敵な少女から、敗北少女へと変わる。
たくさんの涙が。
「う、うわあああああああん……」
「ち、ち、ち、ちょっとそんなに悔しかったわけ?そんな泣かないでよ!公園のど真ん中では、恥ずかしいじゃないの!」
「悔しいいいいいいうわああああああん!悔しいいいよおおおおああああ!」
「な、泣き過ぎだって!ほ、ほらタオル!涙拭いて!ベンチに座ろう、ね?」
私は、悔しかった。
朗先輩が私を選ばないで宮城野原先輩を選んだこと。
私がいつまでたっても朗先輩に本当の気持ちを伝えなかったこと。
そして。
そして、そんな自分を認めないで、今日<卒業式>を迎えてしまったことに。
「私が大好きな人」は、「その人が大好きな人」と遠くへ行ってしまった。
私は、私のすべてが悔しい。
99回の勝利なんていらない。
たった1度でもいい。
1度でよかったんだ。
その「たった」が無駄になるかもしれない。
でも、少なくとも、こんな気持ちにならなかった。
私は、私に負けた。
負けるのは、死ぬほど、悔しかった。
でも、まだ生きている。
新学期。
僕は、勝負好きな親友と学校へ行く。
勝負の春休みが終わる。
私は、先輩になった。
人物紹介
東照宮 つかさ (とうしょうぐう つかさ)
神杉高校2年生。新3年生。
サッカーオタク。観る将。
高身長。ショートヘアが少し伸びて肩ぐらいまでの長さに。
一人称は僕。一人の時と朗と話す時は私になる。不敵少女。
佳景山 御前 (かけやま みさき)
神杉高校2年生。新3年生。東照宮つかさの同級生。
自称永遠の宿敵<エターナルライバル>。
東照宮への対抗心、闘争心で勝負し超越したいと考える普通の女子高生。宿敵少女。