01
―――さあ後半アディショナルタイムも5分台に突入した!
仙台レオンの勝利は目前か!
今主審の笛が吹かれました!
仙台レオンの勝利!
これで仙台レオンが、初めての天皇杯決勝に進出することが決まりました!
決勝は、12月4日の国立競技場!
仙台レオンは、初のタイトルを狙います―――――
02
仙台の11月は寒い。
教室から廊下に出るのも嫌になるくらいに、俺は寒いのが嫌いだ。
しかし、こんな時だというのに、黒松華蓮は席にいない。
いつもならいるはずだと言うのに。
まあいい。
たまには、黒松華蓮の突然の問いかけに振り回されないことがあったっていい。
「長町」
俺は、仰天した。
驚天動地だった。
黒松華蓮は、俺の背後から静かに近づき、そしていつものフレーズを言い放った。
俺は、自分の苗字を呼ばれた回数なら、世界大会にだって出られるくらいにたくさん呼ばれている自信があった。
「長町」
驚く俺が無反応だった、いやあくまでも外見上の話ではあるが、何も応えないから黒松華蓮から追加で呼びかけがあった。
一度に2回攻撃。
「…どうした黒松」
「私とスタジアムに行ってほしい」
03
黒松華蓮の人生の目標は、サッカースタジアムに行くことだった。
問題は、本人の畏れ多いという感情、というより、サッカーに対する極度なコミュ症と対象への尊ぶ気持ちが大きすぎて、なかなか一歩を踏み出せないことだった。
それが、今、なんて言った?
「ごめん黒松、今なんて?」
「私、スタジアムでサッカーを観たいの」
感慨深い。
ついにここまでになったか黒松華蓮。
俺はまるで親にでもなったかのような、親になったことは無いのだけれど、ついに人生の目標が達成される瞬間が来たのかと思うと感動すら覚えた。
「そうか、ついに行くのか」
「うん」
黒松華蓮は少し恥ずかしそうにして、目線を反らしたが、やはりうれしそうだった。
「よく行こうと思ったな。あんなに恐縮していたのに」
「いや…そうだな…」
「ん?なんだよ」
「長町となら行けそうだなって…」
「俺でいいのかよ」
「…………長町がいい…」
そう言って俺の制服の袖をつかむな。
どう反応したらいいか、困るだろ……
「まあいいけど…で、いつ行くんだ」
「まだ来月なんだけれど、12月」
「だいぶ寒くなって…」
「それでもいい」
「はぁ…」
「寒くてもなんでも、どうしても行きたいし、長町と一緒に行きたいんだ」
「そう…それで、いつなんだ?どこに行く?」
「12月4日。国立に。天皇杯を見に行きたい」
俺はそれ聞いて、人生で一番、サッカーを憎んだ。
04
「長町…!」
俺は、走っているのかと思うくらいの早歩きで、黒松華蓮の追撃をかわそうとしていた。
よりによって天皇杯。
よりによって仙台レオンの試合。
決勝。
初のタイトル。
このあたりから、俺の胸の中で何かがグルグルと回り始め、それを吐き出したくなった体を押さえつけるに必死な自分がいることに気づいた。
喉につかえて嗚咽をしながら、それでも俺は自分の首を絞め続けた。
このまま、息絶えてほしかった。
「長町!」
黒松華蓮が叫ぶ。
彼女が叫ぶんだ。
よほどのことに違いない。
それはそうだろうな。
冷静な自分もいる。
それでも俺は、歩みを止めなかった。
俺にとって不幸だったのは、学校に逃げ場所は無く、屋上にまで追い詰められた。
「長町!」
黒松華蓮がまた袖をつかむ。
袖と言うより、手首を引いた、というのが正しい。
「長町……どうして…?」
どうした?ではなく、どうして?
そのくらいには彼女も俺を知っている。
「俺は行けない。行けないよその試合」
「どうして?一緒は嫌?」
耳鳴りがひどくなってきた。
大きな音で、規則的に、ドンドンという音も聞こえる。
「そういうわけじゃないけど…」
鼓動を感じる。
全身が心臓のようで痛い。
「レオンがダメ?」
「……」
端的に言うと、ダメだった。
「初めての決勝だよ?タイトルかもよ?応援…行かなくていいの?」
罵詈が聞こえる。
うるさいな。
「寒いけど、国立だけど、みんながいるから選手のみんなも安心するよ?」
涙をすする音が聞こえる。
うるさい。
「私たちのレオンだよ?」
あいつらの泣き声が聞こえる。
うるさい、うるさい。
「私、長町と一緒に行きたい。長町となら…だって私、長町が…」
「うるさいんだよ!!!!!」
俺は、大きな声で、黒松華蓮に一喝した。
黒松華蓮は、泣いていた。
サッカーなんて嫌いだ。
レオンも……
05
俺はひどく後悔していた。
あの日以来、黒松華蓮は、俺の名前を呼ばなくなった。
あの日以来、俺の頭のなかは別の何かで支配され、寝つきも悪くなった。
何かをしなければいけない。
でも何をすればいいのか。
そんなしょうもない輪廻を頭の中で回し続けた。
少なくとも、今の状態が、俺は悲しかった。
自分で招いたことなのに、それも情けなかった。
俺は、黒松華蓮と離れたくなかった。
一人また一人と下校していく。
教室には、俺の視界には黒松しかいなくなった。
「黒松」
俺は、突然、黒松華蓮に話しかけた。
「……」
振り返っただけで、黒松華蓮は、何も言わなかった。
「俺、俺さ…」
彼女は、じっと、俺を見続けた。
何を話せばいい。
何かを話さなければ、彼女は離れていってしまう。
嫌だ。
彼女が振り向き直って前を向く前に。
何かを。
「俺……」
黒松華蓮は、まだ見ている。
話せ!
負けるな!
「俺、ちゃんと仙台レオンの試合を観たい。いや、もう一度、応援に行きたい」
「俺はずっと逃げてた。いや避けてた」
「降格が決まったあの日、小学生だった俺は、大人たちの罵詈雑言とむせび泣く真ん中に居た」
「それまでずっと、『諦めない』とか『信じてる』とか言ってた連中が、まるで手のひらを反すかのように、一緒に闘ってきた奴らをなじりはじめ、すべてが終わったかのように絶望したんだ」
「俺は、それが耐えられなかった」
「そんな想いをするなら、俺は、サッカーなんてものから、レオンから離れたいと思ったしそうしてきた」
「でも……」
私は、ずっと花江のことを見ていた。
絶対に目を反らしてはいけないと思った。
花江が自分からサッカーのこと、レオンのことを話している。
私は、花江を応援している。
「俺はでも後悔していて…でも逃げ出した俺に、あいつらを語る資格もないし、今更どの面を下げて戻って来たんだって…だから俺…俺…」
俺は泣いていた。
知らない間に泣いていた。
「でも嬉しかったんだ。黒松が俺を誘ってくれたこと、レオンを好きになってくれたこと、本当は、心の底では、いや、心の底『から』嬉しかった」
もうほとんど言葉になっていなかった。
でも、私は、彼を見届ける。
花江は、決着をつけようとしている。
昔の自分に。
「今、俺は黒松と一緒にスタジアムに行きたい。レオンを応援したい。俺も、黒松とならスタジアムに行ける…!」
やっと。
やっと、来てくれるんだね。
「長町」
「黒松…?」
僕たちは、誰も居ない教室で、二人抱擁を交わした。
登場人物
黒松華蓮 ・・・勾当台高校2年生。人生の目標は、スタジアム観戦。
長町花江 ・・・勾当台高校2年生。人生の目標は、特になし。