蹴球仙術

せんだいしろーによるサッカー戦術ブログ。ベガルタ仙台とともに。

黒松華憐に花束を。 #5

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01

―――さあ後半アディショナルタイムも5分台に突入した!

仙台レオンの勝利は目前か!

今主審の笛が吹かれました!

仙台レオンの勝利!

これで仙台レオンが、初めての天皇杯決勝に進出することが決まりました!

決勝は、12月4日の国立競技場!

仙台レオンは、初のタイトルを狙います―――――

 

02

仙台の11月は寒い。

教室から廊下に出るのも嫌になるくらいに、俺は寒いのが嫌いだ。

しかし、こんな時だというのに、黒松華蓮は席にいない。

いつもならいるはずだと言うのに。

まあいい。

たまには、黒松華蓮の突然の問いかけに振り回されないことがあったっていい。

「長町」

俺は、仰天した。

驚天動地だった。

黒松華蓮は、俺の背後から静かに近づき、そしていつものフレーズを言い放った。

俺は、自分の苗字を呼ばれた回数なら、世界大会にだって出られるくらいにたくさん呼ばれている自信があった。

「長町」

驚く俺が無反応だった、いやあくまでも外見上の話ではあるが、何も応えないから黒松華蓮から追加で呼びかけがあった。

一度に2回攻撃。

「…どうした黒松」

「私とスタジアムに行ってほしい」

 

03

黒松華蓮の人生の目標は、サッカースタジアムに行くことだった。

問題は、本人の畏れ多いという感情、というより、サッカーに対する極度なコミュ症と対象への尊ぶ気持ちが大きすぎて、なかなか一歩を踏み出せないことだった。

それが、今、なんて言った?

「ごめん黒松、今なんて?」

「私、スタジアムでサッカーを観たいの」

感慨深い。

ついにここまでになったか黒松華蓮。

俺はまるで親にでもなったかのような、親になったことは無いのだけれど、ついに人生の目標が達成される瞬間が来たのかと思うと感動すら覚えた。

「そうか、ついに行くのか」

「うん」

黒松華蓮は少し恥ずかしそうにして、目線を反らしたが、やはりうれしそうだった。

「よく行こうと思ったな。あんなに恐縮していたのに」

「いや…そうだな…」

「ん?なんだよ」

「長町となら行けそうだなって…」

「俺でいいのかよ」

「…………長町がいい…」

そう言って俺の制服の袖をつかむな。

どう反応したらいいか、困るだろ……

「まあいいけど…で、いつ行くんだ」

「まだ来月なんだけれど、12月」

「だいぶ寒くなって…」

「それでもいい」

「はぁ…」

「寒くてもなんでも、どうしても行きたいし、長町と一緒に行きたいんだ」

「そう…それで、いつなんだ?どこに行く?」

 

「12月4日。国立に。天皇杯を見に行きたい」

 

俺はそれ聞いて、人生で一番、サッカーを憎んだ。

 

04

「長町…!」

俺は、走っているのかと思うくらいの早歩きで、黒松華蓮の追撃をかわそうとしていた。

よりによって天皇杯

よりによって仙台レオンの試合。

決勝。

初のタイトル。

このあたりから、俺の胸の中で何かがグルグルと回り始め、それを吐き出したくなった体を押さえつけるに必死な自分がいることに気づいた。

喉につかえて嗚咽をしながら、それでも俺は自分の首を絞め続けた。

このまま、息絶えてほしかった。

「長町!」

黒松華蓮が叫ぶ。

彼女が叫ぶんだ。

よほどのことに違いない。

それはそうだろうな。

冷静な自分もいる。

それでも俺は、歩みを止めなかった。

 

俺にとって不幸だったのは、学校に逃げ場所は無く、屋上にまで追い詰められた。

「長町!」

黒松華蓮がまた袖をつかむ。

袖と言うより、手首を引いた、というのが正しい。

「長町……どうして…?」

どうした?ではなく、どうして?

そのくらいには彼女も俺を知っている。

「俺は行けない。行けないよその試合」

「どうして?一緒は嫌?」

耳鳴りがひどくなってきた。

大きな音で、規則的に、ドンドンという音も聞こえる。

「そういうわけじゃないけど…」

鼓動を感じる。

全身が心臓のようで痛い。

「レオンがダメ?」

「……」

端的に言うと、ダメだった。

「初めての決勝だよ?タイトルかもよ?応援…行かなくていいの?」

罵詈が聞こえる。

うるさいな。

「寒いけど、国立だけど、みんながいるから選手のみんなも安心するよ?」

涙をすする音が聞こえる。

うるさい。

「私たちのレオンだよ?」

あいつらの泣き声が聞こえる。

うるさい、うるさい。

「私、長町と一緒に行きたい。長町となら…だって私、長町が…」

 

「うるさいんだよ!!!!!」

俺は、大きな声で、黒松華蓮に一喝した。

 

黒松華蓮は、泣いていた。

サッカーなんて嫌いだ。

レオンも……

 

05

俺はひどく後悔していた。

あの日以来、黒松華蓮は、俺の名前を呼ばなくなった。

あの日以来、俺の頭のなかは別の何かで支配され、寝つきも悪くなった。

何かをしなければいけない。

でも何をすればいいのか。

そんなしょうもない輪廻を頭の中で回し続けた。

少なくとも、今の状態が、俺は悲しかった。

自分で招いたことなのに、それも情けなかった。

俺は、黒松華蓮と離れたくなかった。

 

一人また一人と下校していく。

教室には、俺の視界には黒松しかいなくなった。

「黒松」

俺は、突然、黒松華蓮に話しかけた。

「……」

振り返っただけで、黒松華蓮は、何も言わなかった。

「俺、俺さ…」

彼女は、じっと、俺を見続けた。

何を話せばいい。

何かを話さなければ、彼女は離れていってしまう。

嫌だ。

彼女が振り向き直って前を向く前に。

何かを。

「俺……」

黒松華蓮は、まだ見ている。

話せ!

負けるな!

 

「俺、ちゃんと仙台レオンの試合を観たい。いや、もう一度、応援に行きたい」

「俺はずっと逃げてた。いや避けてた」

「降格が決まったあの日、小学生だった俺は、大人たちの罵詈雑言とむせび泣く真ん中に居た」

「それまでずっと、『諦めない』とか『信じてる』とか言ってた連中が、まるで手のひらを反すかのように、一緒に闘ってきた奴らをなじりはじめ、すべてが終わったかのように絶望したんだ」

「俺は、それが耐えられなかった」

「そんな想いをするなら、俺は、サッカーなんてものから、レオンから離れたいと思ったしそうしてきた」

「でも……」

私は、ずっと花江のことを見ていた。

絶対に目を反らしてはいけないと思った。

花江が自分からサッカーのこと、レオンのことを話している。

私は、花江を応援している。

「俺はでも後悔していて…でも逃げ出した俺に、あいつらを語る資格もないし、今更どの面を下げて戻って来たんだって…だから俺…俺…」

俺は泣いていた。

知らない間に泣いていた。

「でも嬉しかったんだ。黒松が俺を誘ってくれたこと、レオンを好きになってくれたこと、本当は、心の底では、いや、心の底『から』嬉しかった」

もうほとんど言葉になっていなかった。

でも、私は、彼を見届ける。

花江は、決着をつけようとしている。

昔の自分に。

 

「今、俺は黒松と一緒にスタジアムに行きたい。レオンを応援したい。俺も、黒松とならスタジアムに行ける…!」

 

やっと。

やっと、来てくれるんだね。

 

「長町」

「黒松…?」

僕たちは、誰も居ない教室で、二人抱擁を交わした。

 

登場人物

黒松華蓮 ・・・勾当台高校2年生。人生の目標は、スタジアム観戦。

長町花江 ・・・勾当台高校2年生。人生の目標は、特になし。

 

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【また会おう】2021年シーズンに起きたことを簡単に感想として【ベガルタ仙台】

どうも、僕です。

今回は、ベガルタ仙台の2021年シーズンを軽く振り返りたいと思います。

結果から言うと、19位のJ2降格。

2年連続降格圏と「J1に残るべきではない」とまで言われてる気分になります。

とはいえ、19年シーズンも、春先に歯車がかみ合わず、一時的に最下位になったりその前兆のようなものはあったと思います。

まあその辺から話を進めていくのであれば、やはり古矢・渡邊体制の終焉から本来は新しい時代を始めるべきだったのかもしれないです。

あそこで、おそらくは丹治もクラブとして、明確な戦い方とそれに応じた編成戦略を打ち出して、いわゆる「金の無い・コネの無いクラブ」として戦っていける道筋を立てようとしたのだと思います。

皮肉なことに、渡邊晋が「クラブとしてのビジョンを明確にして」とおおよそホーム最終戦とは言えないようなテンションで個人的な感情を呈していたように、やり方は違えど、丹治も同じようなことを考え実行しようとしていたのだと思います。

パワーバランスとして、選ぶ側と選ばれる側にあるなかで、渡邊晋がクラブを去りました。

いろいろなポジションができて、ハードに動ける選手を軸に、対戦相手の研究で脆弱性を突いていきJ1残留を目指す–――

そんな青描写のもと、木山が仙台の地にやってきます。

その後のことは記憶にも新しく。

そのやり方では、高度に緻密になったJ1で戦うのは、もう難しかったのだと思います。

監督一人のインプットとアウトプットで、明日の戦い方を落とし込むのを任せるのが難しい、そういうことだと思います。

コロナや不祥事、クラブの経営問題。

外部環境も相当に厳しかったと思います。

そこでやってきた手倉森は、まさに救世主のような存在でしたが、今にして思えばこれも最後の悪あがきだった。

逆に言えば、J2降格というショッキングな出来事を少しでも軟着陸させたと言う意味においては、まだ救われていたのかもしれない。

いや、そのあたりの結論はまだ正直分からない。

降格が良いことだとは思わないし、ただボロボロなまま、苦しいまま、J1にしがみつくのがすべて正しいとも思えないし。

クラブに関わるひとびとすべてにとって、J1の舞台にいることで、仕事があったり関係が続いたりして幸せなことだってある。

ただ、不健全なクラブ体制だったり、経営の問題のまま、置き去りにしたままではまた同じことを繰り返すし、繰り返すことすらできない(=クラブ消滅)状態になっては元も子もない。

そもそも、J1に上がってからのクラブ規模というものはほとんど大きくなっていない。チームレベルで踏ん張っている間に、マネジメントであったり意思決定の仕組み、チャネル・販路、新規営業とかとかとか。

何もしていなかった、と言うつもりはないのだけれど、生き物が外部環境に適合しながら有機体としての生命を持続させるためには、ほかの生物が成長している以上、現状維持はすなわち後退していることになる。

そんな大きな流れと、現場レベルのがんばりの交差点に、あの渡邉晋は到達してしまった。

話が逸れるが、僕はもう二度と、監督が辞める時にあんなことは言わせたくない、せめて監督していてよかったと思える現場環境にしてあげたいと思う。

僕にできることはほとんど無いと思うけれど、少なくともそう願っている。

 

さて、いろいろと書いてきたが、気の向くままに書いてきたが、現場レベルのがんばりとしくじりが、クラブの命運を左右してしまうなんて、もう少しなんとかならないのかと思う。

思うし、そもそもクラブの経営の問題だったり、新規顧客の獲得だったり、そんな大きな話をまずは解決しないといけない。

やることはたくさんある。

ただし、光明もある。

今まさに陣頭指揮をとっている佐々木社長は、歴代の社長とは比べ物にならないほどのスピードでスポンサー獲得やクラブ関係者にメッセージを発信している。

まあこれが普通…といえばそうかもしれない。

でもまずは、普通の組織、クラブ体制にしたい、というのは、僕個人の感情である。

そして、今度は社長に負荷がかかっているのを分散させ、分業させ、組織として大きくすることが次の目標になる。

これはまだ先の話ではあるが、いずれはやらないといけない。

とにかく僕は、僕の個人的な感情は、ゆっくりとでもいいから着実にこれまでやるべきだったことをやってほしいということだ。

そして、直近3年、渡邊、木山、手倉森と、クラブのごたごたに現場の監督が巻き込まれない、極力自分の仕事に集中してもらえるような、そんな環境を整備してほしいと思っている。

 

今シーズンのシンプルな振り返りをしたかったが、もう少し俯瞰的に流れをと思い、あとはすべて書くのは面倒になったので、本当にさらっとで。

新時代は始まっている。

その準備もまた着々と進んでいる。

歩みを止めず、しかし、焦ることなく進むこと。

そして必ず、タイトルを獲るクラブになること。

ホップ、ステップ、ジャンプのように階段を上りながら。

確実に。

 

最後に、「1年でのJ1復帰」について、僕は1年で上がれたら幸せです。

プレーオフもあるし、チャンスはたくさん。

でもまずはしっかりと残留すること、お金の問題がクリアになること、これが第一優先だと考えています。

何度も言いますが、ボロボロでしがみつくのはもうしばらくは良いかなと。

でも、いろんな想いや思惑や考えがあっていいと思います。

必ずしも、同じである必要もない。

J2ってそういう舞台というか、沼なんて言われてますが、決して正解はひとつじゃない、でも正解と決めたことを貫いて正解にするのが、大事なんだと思います。

 

では、またどこかで。

【疾風】Jリーグ 第38節 ベガルタ仙台 vs 鹿島アントラーズ (0-1)

はじめに

 J2降格が決まった仙台の新時代へ向けた第2戦。原崎体制の継続も決まり、あとは選手がどれくらい残るか、新加入の選手がどれだけいるのか。気になることも多いが、まずは最終戦、ホームで勝利を目指すベガルタ仙台の姿があった。

 

ゲームレポート

どこでプレーするかを決める戦い

 ベガルタ仙台は、GK/クバ神、DF/真瀬、アピ、平岡、タカチョー、MF/吉野、上原力也、WG/氣田、関口、FW/富樫、赤﨑の≪4-4-2≫でスタメンを組んだ。FW/カルドーゾはリザーブに、ストイシッチ、福森、蜂須賀、富田、加藤千尋、皆川も入る。

 鹿島は、クォンスンテ、常本、関川、町田、安西、三竿、ピトゥカ、アラーノ、和泉、荒木、上田の≪4-4-2≫でアウェイ仙台に乗り込んできた。

 さて試合の方だが、仙台は前節福岡戦、前半飲水後の世界線をそのままに鹿島と対峙した。その世界線とは、MFがあらかじめドロップして3バック化し、FW横のスペースから相手サイドバック背後のスペースめがけて攻撃するスペースアタックだ。福岡同様、鹿島もセットDFは≪4-4-2≫のため、2FW横をどう守るか?がテーマになる。仙台は、MF/吉野のドロップを合図に、関口、氣田のウィングがインサイドレーンへのレーンチェンジをする。よって、仙台の攻撃陣形は、≪3-3-2-2≫となった。特徴は、サイドバックがワイドに低い位置にポジショニングし、自身の前方と後方のスペースを味方に使わせる狙いがうかがえた。

 その狙いは、前半開始とともに見えた。吉野が右CB/アピの横にドロップすると、インサイドからワイドレーンへ飛び出す右WG/関口へ向けてロングキックを蹴る。相手WGが吉野へのプレッシャーをかけずらいのは、前述したサイドバックのポジションによるもの。対面するタカチョー、真瀬をフリーにするわけにはいかない、というのが鹿島のDFだ。鹿島は、ホルダーへ極力プレッシャーをかけ続け、あるいはかけられるポジションにあらかじめ着いて、ホルダーのプレー時間を限定するDFが基本だった。当然、オリジナルポジションから動きがあれば、鹿島にとってはどこまで行くのか?の問が発生するわけで、ある程度、FW横のスペースについては許容していたように見えた。

 吉野のドロップ先が平岡、アピの間、CB間へと変わる。FW-FWラインに対して焦点プレーを続けるMF/上原力也と、縦軸で繋がろうという意図にも見えたが、後半途中からは平岡にもなっている。もしかしたら、平岡の方が、上原を使った誘き出しパスを出す意識が高かったためかもしれない。もっといえば、前方のロングを蹴るならやはり吉野の方がよかった、ということかもしれない。

 仙台は、右サイドは関口、左サイドは富樫が相手ファイナルラインの背後を取るウィング役。左ウィングの氣田は、ハーフスペースの番人。ゴールキック時のポジションが顕著。CBが大きく開き、サイドバックが低い位置、アンカーポジションに上原、ハーフスペースを氣田、吉野が使って、両ワイドは前述の通り。

 この試合、仙台にとって重要なスペースは、鹿島FW横のスペースだった。主にそのスペースを使うのは、吉野だったり平岡だったりしたのだけれど、右からの攻撃が多いこともあってCBのアピが使うシーンをよくみかけた。ただ、低い位置の真瀬へのパスだったり、アンカーの上原を使う意識、自らボールを持ちあがり相手WGへ正対するようなプレーが少なかった。少なかったと言うか、ほぼなかった。こうなると、当然鹿島レベルであれば、いや、J1レベルであれば仙台のパスラインを限定したようなもの。真瀬が相手を背負いながらプレーするシーンが増え、ボールが渡ればフリーで前を向けるはずの上原力也を見える機会が見られた。

 チームの攻撃として、前方のスペース、相手サイドバック背後へのスペースへの攻撃を考えた時には、シンプルにロングキックを蹴ること自体は問題ないと思う。ただ、それ一本槍となれば、それは話が変わってくる。来季の動向もあるが、彼のDF面での貢献は非常に高く、成長した選手のひとりと言える。今季ボールを主人公としたゲーム展開がなかなか無いなか、次のステップとしてはスペースと時間ができやすいFW横でのプレーについて、もっと強くなれる幅を感じた。

 話をこの試合に戻すと、いずれにせよ、仙台はFW横のスペースのプレー、サイドバック背後のプレーというものがニコイチで、うまくいかないと中間のサイドバックだったりMFのところでボールを持つ時間もあった。そこから速く攻めるのか、もう一度やり直すのかは今後の課題になると思う。仙台はボールを奪われると素早くボールを取り戻す、ポジションに戻るプレーを見せた。一方攻撃においても、素早く攻める展開だった。そういったプレーを今後も望んでいくのであれば、高いフィジカルが必要だし、ボールを奪われた後の1プレー目、奪った後の1本目のパスのプレー精度は高めないといけない。鹿島が非常に素早くボールホルダーに対してプレーしていたので、仙台も釣られた…という見方もできなくもない。

 

考察

 仙台は、スペースを有効に活用しよう!という意気込みを感じた。空いているスペースをはじめから使うのか、後から使うのかとか、誰が使うのかとか、3バックビルドや富樫や関口のライン背後へのランニングから読み取れる。スペースを使おうとすれば、相手は使わせないように素早く対応してくるので、展開的には速くなる。あとは自分たちがどのペースで戦いたいのか、もちろん相手との兼ね合いもあるが、ゲームを創っていく、コントロールしていく部分に繋がっていくと思う。来季も非常に難しい戦いが続くと思うが、もう一度、自分たちの戦い方を作り上げてほしいと思う。

 

おわりに

 ずっと走り続けてきたJ1での戦い。昇格に、優勝争い、天皇杯、そして降格。これですべてが無駄になることは決して無い。むしろ誇るべきだし、尊敬されるべき偉業を達成したとも言える。一方で、監督云々で、ポゼッションだのカウンターだのの戦い方云々で、良い選手を補強する云々で、切って貼ったでなんとかなるほどのリーグは、もはや日本にはないということだ。おそらく苦手な分野だと思う、クラブがフロントにたって、親分として子を守って、絵を描いて、言葉通りクラブを運営することについて、ベガルタ仙台に突きつけられた現実なんだと思う。仙台として、世に、社会に対して何を提示できるのか。仙台があることのうれしさって何なのか。仙台にサッカーがあること、ベガルタがあることの良さをもう一度向き合う必要があるのだと思う。新しい時代は、もう始まっている。あらゆる呪縛から解放された我々は、自由だ。

 

「ボス、あんたは言っていた。俺達に明日はない。だが未来を夢見ることはできると。けれど、俺達が今を必死に生きようとするほど、未来は遠くなっていった。もう生きているうちには無理だろう。だからこそ、今すぐに始めなければいけない。いつか俺達がいらなくなる。人を傷つける道具も、自分のなかの鬼を棄てて、今日より良い明日を創る。それが俺の、俺達の生きた証になる。そうだな、ボス」こう言ったのは、ビッグボス(ヴェノム・スネーク)だ。

 

【Here's to you】Jリーグ 第36節 ベガルタ仙台 vs 湘南ベルマーレ (0-2)

晩秋の仙台。

七北田川から吹き抜ける風は、街を歩くひと達のコートの襟を立たせるのに十分だった。

この1か月の雨、風で、季節の針は2歩も3歩も進んでしまった印象だ。

11月20日の泉中央。

ペデストリアンデッキから望む、八乙女、黒松へと延びる国道4号線沿いの並木は、この日を待ちわびていたかのように、黄色く染まっていた。

まるで、ベガルタゴールドのカーテンように。

人数制限とはいえ、駅周辺、もちろんスタジアム周辺は人混みができている。

理由は当然、決戦である。

この日のユアスタの空は、蒼い。

日陰で座っていると寒いが、身体を動かす選手たちにとっては最高のコンディションに違いない。

特に、ボールを追い回すこと、味方と連携してコンパクトであり続けるには、良い環境だったと言える。

記者席に近い席だったこともあって、遠巻きながら記者の方々も目に入ってくる。

試合前のアップをじっと見守る姿に、この試合が持つ意味と、今季ここまで歩んできた軌跡を感じる。

多くのことを近い目線で見てきたのだから、この試合に懸ける想いはきっと、選手かそれ以上だったのだと思う。

キックオフ直前。

不思議な緊張感は、ついに最高潮に達する。

ボールがセンターサークルから飛び出すと、青い戦士たちが深緑のピッチに解き放たれた。

 

仙台は、いつもの通り4-4-2。CBでアピとコンビを組むのは福森だった。左ウィングには西村が入り、前節ハーフスペースで躍動した再現を狙う。上原力也、富田のセントラルMFの組み合わせ。FWは富樫、赤﨑と、シーズン最終盤でもセンターラインが決まらない不安が残る。

仙台のテーマは、3-4-2-1の湘南に対して、かみ合わせ不一致の4-4-2で3バックにどうプレッシャーをかけていくか、どこでボールを奪うかだった。

いつものように4-4-2でミドルブロックを敷き、MFには赤﨑がつき、ホルダーには富樫がサイドへ追い込むように制限をかける。

あとは、ボールサイドの選手が相手へのマンツーマーキングが始まる。WBに対しては、サイドバックが縦迎撃して、シャドーに富田、上原が根性でマーキングし続ける。オフボールのスプリントと攻守切替が特徴の湘南に対して、非常に攻撃的な基調だった。

ホームユアスタの「レッツゴー」コールを背負い、仙台が攻勢をしかける。相手陣で、前線からプレッシングをかけ、パスラインをサイドに限定したところで奪い切るDFを見せ、早々にCKを獲得するなど、まさにホームチームの振る舞いだった。

ただそのCKからの戻り。仙台のマーキングにズレが出る。ゾーナル主体のマンツーマーキングである以上、マークがズレたり、定まらないと途端に目標を失う。ラインが雑然としていたところにクロスが入る。ウェリントンのヘディングは、仙台にとって重く、残留に向けて現実に戻される一撃だった。

失点後は、ボールを持つ時間も増えた仙台。

ボール非保持時には、5-3-2で前線からのプレッシング、中盤からの押し上げを実行する湘南に対して、2バックのまま2人のMFでビルドアップをする仙台。

湘南の2FWと3セントラルMFのプレッシャーターゲットになり、ルックアップしてボールを持つ時間とスペースが少ない。

GKクヴァを含めて、CBが左右に広がると中盤にフリーマンを見つけ、ボールを前進させられたのだけれど、今の仙台はボール保持を是としながらGKを経由するビルドアップを是としていない。

この制度的制約のなかで、フォローアップに来るのは真瀬、タカチョーの両サイドバックだし、富田が福森の横に降りるようなこともある。加えて、関口あるいは西村のウィングの選手すらも、センターラインを越えて自陣中央にポジションを移している。

DAZNの画面では確認しにくいが、湘南はハイプレッシング以上に、ハイラインが非常に印象的なチームだった。前線からプレッシングに行くのだから、後方もそれに追従してラインが高くしてコンパクトさを維持していた。

従来であれば、FW富樫やWG西村が背後に抜けるオフボールランでファイナルラインにストレスをかけるのだけれど、この日は相手ラインの背中ではなく腹側で受けようと、ボールを待っていたように見えた。

もちろん、卵か鶏が先かの話ではないけれど、ボールを出す元の状況が湘南のプレッシングとGKを極力使わない仙台側の要因で、非常に時間もスペースも少ないことも影響していたと言える。

関口が2度、3度、右サイドから中央あるいは逆サイドに向けて、ライン背後へのランニングを見せていたが、おそらく打開策として本人の判断だったのだろう。迷いの見える福森も、背後へのランニングには躊躇なくボールを供給した。

今季ここまで、「じっくり時間を使って攻撃するのか?」、「縦志向で相手陣のスペースを素早く使って攻撃するのか?」をまるで禅問答のように、あちらとこちらとを行き来してたけれど、本来そのような二元論的にサッカーの攻撃は成り立っていないはずという前提はさておいて、まだこの一戦においても迷っている、躊躇しているように見えた。

仙台の前半が終わる。開始10分の電光石火でゴールを奪われてから、35分間で得点も失点も無し。残り45分が仙台の運命を決める時間になる。

後半から仙台は全開でアタックする。

WGの西村はゴールに近いポジションを取り、富樫はライン背後へのランニングが増えた。

5-3-2で守る湘南に対して、2FWの横をCBとMFが使い、ウィングポジションよりやや低めにタカチョーと真瀬が立ち位置を取ることで、積極思考の湘南DFを逆手に取りWB背後にスペースを創りだす。ハーフスペースには西村、関口、赤﨑がいて、左右CBの間を富樫や西村が狙っていく。

ボールも最前線の選手へ供給されていくため、相手を押し込んで攻撃を開始することもできた。

ただ、バックラインから各駅停車のパスが多く、ワイドへのミドルキックが無いこともあって、ボール周辺の湘南の密集密度は高い。その分、背後が空くといったトレードオフだけれど、紙一重でもあった。

かつて渡邊がプレッシャーラインを超えるパスを「切るパス」と呼んだように、かつて木山がワイドに高い位置にウィンガーを置きパス一本で1on1を仕掛けさせたように、相手DFを一閃するようなパスがひとつでもあれば、仙台の攻撃はさらに速くそして、華々しいものになっただろう。

仙台のDFは、サイドに「細く」限定することで成立する以上、自分たちの攻撃も細くなる構造的な弱点があった。失点を防止するために、細いまま攻撃していたおかげで、サイド、コーナーフラッグ付近までボールを運ぶが相手にとっての脅威も半減する攻撃になっていたのが今季の仙台だった。逆サイドに開いた時こそ、仙台の攻撃は速度が上がって相手ゴールまで迫るものになっていった。できるようでできなくて、非常にもどかしいのが今季だった。

それでも、青い炎たちは、湘南のDFに飛び込んで行く。すべては勝利のために。

カルドーゾとフォギーニョが交代で入る。

攻勢を強める仙台。

一瞬だった。

湘南、岡本にボールを奪われたかと思ったその時には、仙台サポーターの目の前で、ゴールネットが揺れた。

鐘の音が聞こえる。

時計の針が、長針と短針が、文字盤の12を指した。

試合終盤、吉野をCBに入れてアピを最前線に。破れかぶれでも、パワープレーでもなんとしてでも得点を重ねて勝利を目指すベガルタ仙台

ボールは、自陣と相手陣を行ったり来たりしながら、主審の時計の針を進めた。

抵抗空しく、高々と青空へと上がったボールを見上げながら、試合終了の笛が吹かれた。

僕は足早にスタジアムを去る。

これ以上、彼らが苦しむ姿を見たくなかった、のかは、自分でもよく分からない。

個人的な感情は…いや、分からない。

怒りも悲しみも、まったくと言っていいほど、湧き上がらなかった。

ただ、0-2と刻まれたスコアボードを目に焼き付け、階段を降りコンコースへと出ていった。

メイン側コンコース、七北田公園の方角から差し込む初冬の黄昏時の太陽に、凍えた僕を暖める力はもう、残っていなかった。

 

試合後、清水の勝利が確定。

この結果をもって、断頭台のギロチンが仙台の首を落とした。

0-2のスコア以上に、ディビジョンの差すら意識させられる試合に、悔しさと奇妙な納得感があった。

ただひとつ、悔しいとすら思う権利が無い自分が悔しかった。

 

試合から数日後、手倉森誠監督の退任が発表。

まずは火中の栗を拾い上げた監督には感謝を述べたい。

クラブの先行きも分からないなか、荒波に飛び込んだ同氏をまずは褒めたたえるべきだ。

そんなテグですらも飲み込んでしまうほどに、歴史の軋轢というものは大きくて、彼から持ち味の陽気さや「ダジャレ」が消えてしまったのが残念だった。

それが無い以上、テグには監督とは別の場所で働いてほしいと願っていたが、クラブもその決断をしたようだ。

ひとつの時代が終わりを告げる。

僕たちは、いつの間にか、無理をし過ぎていたのかもしれない。

ひとつひとつの傷を気にしていない振りをしていたのかもしれない。

あまりに多くのものを失った。

でもそれももうじき終わる。

また、新しく始める。

 

「Here's to yo」とは、映画「死刑台のメロディ」の主題歌である。

縁起でもない映画のタイトルだけれど、その主題歌の一節に、「That agony is your triumph」という歌詞がある。

望まない形ではあるが、「本来のベガルタ仙台」とは何かを失って痛いほど理解させられた。

すべてをあるべき姿へ。

自らを新生させる闘いが、始めなければいけない。

次の時代に備える戦いは、1分、1秒後の世界から始まっている。

 

【考察】「呼吸を整える」について

Mr.Childrenの「Starting Over」という曲がある。

その曲に「さあ 乱れた呼吸を整え 指先に意識を集めていく」という歌詞がある。

息が上がっていると、集中できないことは往々にして存在している。

それを一度立ち止まったり、深呼吸することで整え、次のアクションに備える。

これは、僕たちが普段の生活のなかで実践していることだ。

本来集中したいもの、こと、に向けて落ち着く。

Chillが最近の流行りであるけれど、慌てて何かをしてもたいていのことはうまくいかないということだ。

 

さて、サッカーにおいて、ピッチにおいて「呼吸を整える」ことってどんなことがあるだろうか。

最近、Xaviがバルサに監督として帰還した。

Al Saddで選手キャリアを終え、そのまま監督として指導者のキャリアを歩みだしたXavi。

まさに、満を持してのバルサ監督就任と言える。

そんなAl Saddだが、3-4-2-1、4-3-3でボールを保持しながら、良いポジションを取り、ゲームをコントロールするプレーを志向している。

いわゆる、ポジショナルプレー思考にもとづくサッカーだ。

いきなりだが、そんな彼らが失敗する時とはどんな時かから書きたい。

なぜなら、失敗は必然であり、成功は偶然であるからだ。

もっと突き詰めていえば、チームスポーツにおいて、失敗する時の大半は全員がミスをしている可能性が高いし、成功する時は相手のミスだったり瞬間的に良いプレーが出来たり、偶発的な環境要因が影響するからだ。

だから、失敗や敗因を分析し、考察、改善していくことは、大事なことである。

前置きが長くなったが、Al Saddはそのプレー特性から、時間やスペースが制限されていると、彼らのプレー速度も上がり正確なプレーや正しいポジショニングができなくなる傾向にあった。

相手DFが素早く距離を詰めて、Al Saddの選手のプレー時間総体そのものを少なくしようとプレー、この場合ならプレッシングになるが、そういったプレーの影響から手持ちの少ない時間のなかで「正しい」とされているプレーを表現しなければいけないプレッシャーがあった。

自分たちのプレー原則だったり、ゲームモデルに首を絞められる瞬間である。

蹴り飛ばしてしまえば楽になるし、実際に蹴り飛ばしているシーンもある。

ただそうなると、Al Saddのプレー速度は上がり、同時に比喩ではなく選手の物理的な意味合いにおける心拍数もあがった。

こうなると、彼らが普段から行っているプレーとは異なるし、そういった異なる状況でのプレーとなると、選手のこれまでの生い立ちが試されるというか、Ivica Osimの言葉を借りれば「最後まで走れる子に育っているか」が大事になってくる。

そんな時、Al Saddがどうやって、自分たちのプレースピードを取り戻すか。

それがロンドだった。

 

いわずもがな、Xaviはロンドを信仰している。

ただこれは半分くらい比喩的に書いてしまっているので、もう少し奥歯で噛み砕けば、バックラインやGKを中心としたパス交換、ポジショニングで、もう一度自分たちのスピードに戻そうとするプレーだ。

その間に、前線もXaviが信条とする「インサイドMF(シャドー)のハーフスペースへのポジショニング」、「ウィングがワイドに高い位置を取る」を実行する時間が生まれる。

こうしてだんだんと自分たちのスピードに減速させていく。

落ち着く、Chill、ゆっくりやる。

まあこんな言葉がとてもしっくりくる。

でも僕は文字通り、心拍を落ち着かせる、ひいては荒くなった息をいったん落ち着かせる、「呼吸を整える」プレーだと思った。

おそらくだけれど、観客が入っていないことも要因としてあるかもしれない。

速度の速い、落ち着いてないなかでプレーをミスし、それに観客がネガティブな反応を示せばさらに選手は落ち着かなくなりさらにミスを…そんな可能性もあったかもしれない。

 

監督であるXaviの呼吸とチームの呼吸は合う。

あとは相手と観客、サポーターがどうなるかだ。

相手はしょうがない、プレーを邪魔してくるに違いない。

でもサポーターについては味方だ。

自分たちのプレーへの理解、支援。

まあそういったところをチームのプレーと結果で集めていくことが必要で、それがある意味監督の次の仕事のような気がする。

長々と書いたけれど、とにかく自分たちには自分たちが心地よい、もっとも良い結果を出せるスピードがあって、それは心拍であり呼吸の速さのようなもので、それが荒ぶるとたいていうまくいかなくなる。

もちろん、寝かせられるほど落ち着いてしまえば、Chill outしてしまうのもまた、問題なのだけれど。

 

だから、整えることが必要で、整えるためには整える方法を知っていて、それを普段から実践していることが大事になる。

いかに試合を、90分間の予測不可能性を日常の延長にできるか。

非日常を少しでも日常のものとするために、僕たちは深呼吸するのだと思う。

そして、弾倉に弾を込めるのである。

 

たった一人のサポーターより息子たちへの一通の手紙

今日、君がどんな夜を過ごすのか。

明日に向けて、どんな準備をしてきたのか、少しばかり気にしているところだ。

でも君のことだ。

きっと明日も、電光石火のごとく、その闘いへ身を投じるのだろうと思う。

思うし、確信している。

気負うことは大事なことだ。

成功しようと野心をもつ君の姿勢に、僕はいつも感服しているし、尊崇している。

僕から言えることはかなり少ないが、ひとつだけ、左脳の片隅に置いておいてほしいことがあって、何事も度を過ぎるのは好ましくない、ということだ。

責任感の強い君のことだ。

気負い、背負い、失敗すれば世界が終わる覚悟で、その「任務」にあたるだろ。

ただ君が負えば負うほど、身体は固くなり、心は縮み、視野は狭くなるだろう。

大事なのは、何事も過ぎない、ことなんだ。

自然体であり「過ぎる」のもまた、難しいことに具合がよくなかったりする。

とにかく、言いたいことは、君も十二分に分かってることだと思うが、その大いなる成功への野心と、明日のことだって楽しんでやろうという、良い楽観主義は共存するはずだ。

野心と楽観との間に、常識と、平常心が存在する。

常に冷静に、目の前のことに集中して、そして必ず成功してやろうという気概でもってあたれば、君に向かうところ敵なしだ。

無敵だ。

僕たちはそうして、数々の苦難を打ち砕いて来た。

明日だってできる。

成功する。

必ず勝つと、僕は、確信している。

がんばって。

 

そしてもうひとつ。

明日何が起こっても、人生は終わりじゃない。

これからも人生は続き、君はたくさんの失敗をして、そして、その失敗以上に数多くの成功を収めるだろう。

いや、大成功を収めるだろう。

明日のことも、君がスパイクを脱ぐ時には、懐かしい思い出になっているだろうし、同じ経験をした者同士で再結集して、後身たちの大いなる手本となれるだろう。

これからの人生でも、明日と同じような機会は、おそらく2度、3度やってくる。

それを乗り越えるための糧にしてほしいと思っている。

幾千もの思い出の山に明日のことが埋もれていくだろう。

それは時間がすべてを忘れさせてくれる良い側面でもある。

でも、やはり君の心に、それでも心のなかに留めておいてほしいことがある。

 

忘れられない一日にしよう。

 

どんな結果が待っていようと。

僕は大事な試合の前に「人生最高の90分間にしよう」と言っている。

明日はきっと、その試合なんだと思う。

まあ、そんなことは、君が一番分かってるだろう。

「青春に捧ぐ」の歌詞にもあるような、祭りのあとの寂しさを味合うのは、いかに僕たちが明日という日を祭れるかにあると思う。

だから、良い一日にしよう。

さあ、行こう。

そして、決して忘れることのない、忘れることのできない試合にしよう。

明日を思い出す日は、必ず訪れる。

 

仙台が、ある限り。

 

小さく微力なサポーターより。

【何を躊躇ってるのさ!】Jリーグ 第32節 大分トリニータ vs ベガルタ仙台 (2-0)

はじめに

 さあ、いきましょうか。アウェイ大分トリニータ戦のゲーム分析。この日も勝ち点を争う一戦。今日も、ゲーゲンプレスで振り返ります。では、レッツゴー。

 

目次

オリジナルフォーメーション

別途

 

ゲームレポート

2021年シーズンを表すもの

 仙台は、4-4-2。一方の大分は、3-4-2-1から、MFのドロップで時々4バックのビルドアップを見せるが、基本型としてはオリジナルポジションを守っていた。仙台のDFは、2FW+WGで、相手3バックへとプレッシングをかけていく。相手陣深くより、ミドルサードでの中盤からの押し上げが主軸であった。

 大分は、3バック+2MFの5人でボール保持攻撃をするため、簡単にボールを奪われない構造となっていた。また、シャドーがFW-WGライン上に出現するため、中盤でボールを持つ時間と空間が存在していた。

 仙台は、FW赤﨑、カルドーゾが相手CBの利き足からのパスラインを制限しつつ、ボールサイドを限定するいつものDF。ターゲットに左右CBがいるので、WG関口、加藤千尋は果敢にプレッシャーをかけていく。かけていくが、関口は縦に素直にプレッシャーをかける突撃で、左サイドバック福森も、ワイドに低い位置に構えるWB松本に縦迎撃するため、ボールが逃げやすく後方にスペースを空けていた。

 一方の右サイドは、加藤千尋がCBとWBの二度追いという根性DF。おかげで、真瀬は後方のスペースを牽制しながら、前に行くか行かないかを判断していた。もっとも真瀬は、うまくごまかしながらスペースを管理しつつ、ボールが相手陣深いところまで入るとWBへプレッシャーをかけていた。セオリー通りだからこそ、強力なDF方法だったと思う。

 仙台の左サイドが前に前にの傾向で、加えて奪える構造になっていなくて(福森のプレッシャー距離は遠くボールを奪うというマインドを相手に植え付けるには程遠いものに思えた)、左→右→左とサイドチェンジを加えられると、仙台は自陣に撤退しないといけなくなる。サイドチェンジが2回入るとリトリートは、これもまた鉄則である。大分は、左に展開したあとマイナスパスからのクロス(アスピリクエタクロス)から何度かチャンスを作った。

 仙台も飲水後あたりから、関口がWBをカバーする形に変更。おかげで大分の両CBには時間とスペースができたし、MFがバックラインに加わることも、シャドーが落ちてくることもできた。まさに自由自在。中盤は完全に支配され、自陣で守る時間と状況が続いた。

 攻撃については、何を、どう見ればいいのか、まったくわからなかったのが正直なところだ。何を狙っていて、これまで何をやってきていて、何ができて、何ができていなくて、何がテーマで、そう言った部分が「何かしらあるのは完全に理解している」うえで、何をしているのか分からない。いくら準備してきたところで、臆して何もできないのなら、それは何もしてこなかったのに等しいと思うのだが、僕が生きてきた環境が過酷だったからそう思わせるのか、それが当たり前なのか、それすらもよく分からない。批評とか内省とか改善とかそういうフェーズなのか?というところまでしか、申し訳ないが僕のレベルでは突き詰められなかった。

 

考察

 DFであれだけ押し込まれしまえば、それを是として試合に入ってない以上、押し返すのは非常に難しかったし大きなパワーがいる作業だったと思う。中盤からの押し上げにおいて、ボールを前目で奪うのか、もう少し引き込んでハーフスペースで奪うのか、そのあたりもぼやけたまま試合が進んでいった。攻撃が上手くいっていないときは、守備を見直せ、が定石であるけれど、ボールをどこで奪うのか、それがサイドなのかとか相手陣深くなのかとかいろいろあるけれど、僕ははじめからDFについて深化させるべきだと思っていたし書いてきたし、長い中断もDFの詰めに使ってほしいと願っていた。どんなシステムだろうが、DFで駆け引きして、自分たちの土俵に持ち込みゲームコントロールする姿を望んでいた。

 でもそれがDFのディティールもそこそこに、敵陣プレッシングとボール保持攻撃へと傾倒していった。攻撃も、守備も、手札が少ないまま10月も終わろうとしている。でも僕が本当に気に食わないのは、その少ない手札でもやらなければいけなくて、せめて貫いてくれよと、躊躇うことなくやりぬけよと、そう思うのである。

 

おわりに

 何をいまさら、保守的になっているのか。失うものすら何もないというのに。すべてのプライドの旗も破られ、心の錦すら弱弱しくはためく。勝てればいい。でも勝つためには、相手よりうまくないといけない。うまくなるためには練習と準備をしないといけない。勝つためにはもっと良い努力をしないといけない。よい努力とは何かを常に自問しながらボールを追いかけないといけない。勝ちたいなら、たくさん準備して、よい努力をする必要がある。試合でうまくいってもうまくいかなくても、それでもいい。でも勝つためには、相手よりも準備しないといけない。何度もいう。もっとサッカーをうまく、もっとサッカーを極めてほしい。それが勝つための、最短で最善で永遠の方法だと尊崇している。そのためにはもっと、準備をしないといけない。もっとうまくならないといけない。上手いとは何かを追求しないといけない。でなければ、それは光よりも速く、やってくる。

 

「身構えている時には死神は来ないものだ」こう言ったのは、アムロ・レイだ。